中央と周縁について

昨日、フクシマ論をいまさらながらに読了した。

植民地と原発を重ね合わせる見方、地方と中央の構造変化と、完成した自発的な従属、「原子力ムラ」のリアルに満遍なく触れていて、読みやすく、おもしろい。やっぱりミソは、これが311前の研究とまいうところ。けっきょくムラは吹っ飛んだんだと思うと、虚しい。

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イラク戦争から10年。

イラク戦争から10年。

ヨルダンでイラク難民に出会ったり、高遠菜穂子さん と活動したぼくには、この10年の節目に何が出来るんだろうと考えてみて。いまの仕事柄、「伝える」ことが自分がいちばんできることだなあと結論づけてみて。そうして、けっこうな想いを込めて、自分の働く新聞会社で、記事を書きました。

もうイラク戦争から10年も経ってしまったんだと思ういっぽうで、まだ10年しか経っていないんですよね。

ぼくらにとっては当たり前のように過ぎていった10年間だったけれども、イラクの人たちや、戦争に巻き込まれた人たちにとってみれば、悲しくて、辛くて、どうしようもない気持ちが積み重なった10年間だったはず。
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九月十一日/十年前のきのう、ぼくが書いていた作文。

きのうでアフガニスタン空爆から10年。米英軍による空爆がはじまった日から、もう10年の月日が流れました。

10年前のきのう、ぼくは9.11のことと、その日からはじまったアフガニスタン空爆のことを考えながら、作文を書いていました。2001年のぼくが書いたのは、こんな作文です。この作文を書いた2001年のぼくは、まさか10年後に自分のブログがソーシャル・ネットワークに晒されるとは、夢にも見ていなかったでしょう。

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ハイチ大地震と募金

ハイチで地震があった。すでに11万人の死亡が確認されているというが、その規模は正直実感が沸く人数ではないし、そのためか悲しみとかそういう類の気持ちも感じない。ほとんどの人がそうなんじゃないかと思う。でも地震のニュースを聞いたり現地の写真や映像を見たりすることで、少なからず後ろめたさを感じた人もいたのではないだろうか。なんで自分はこんな状況にいてなんもしていないのか、だとか、自分は安全な場所にいてよかったなあ、とか。ちなみに、おいしいコロッケを食べながらハイチからの映像を見ていた僕は、その「後ろめたさ」を感じた。

そういう後ろめたさは、「自分にも何かできることがないか」という気持ちを引き起こすことが多い。でも、自分が今すぐ飛行機に飛び乗ってハイチに行くことはできないから、ほぼ全員は国内で「なにかできること」をする。そしてほとんどの人は、家や生活圏内から、「なにかしよう」とする。そう、募金だ。募金はある種、「良い状況に置かれている自分が何もできない」という罪悪感に対する免罪符とも言えるのかもしれない。もしくは、自分が何かしらの形でハイチに関われたことに対する「自己満足」を引き出そうとしているだけなのかもしれない。

そういう意味で募金を批判する人は少なくない。しかし、僕は逆に聞きたい。免罪符や自己満足になろうとも、それの“何がいけないんだ”と。その募金があるべきところにされ、使われるべきところに使われて、ハイチで苦しんでいる人々が少しでも助かるのならば、その間の道筋がどういうものでも良いのではないか。募金以外にできることがあるにもかかわらず、募金だけで自己満足で悦に浸っている人がいるのならば、それは確かに批判に値するかもしれない、が。

だから僕は、変に募金を批判したり毛嫌いしたり、自己満足だから気が引ける…なんか思ってないで、とりあえず募金しとけよ、と思う。100円でも1000円でも、チリが積もれば山となるのが募金の原理なんだし、みんながそういう意思で動いて巨額が集まるんだから。できることから、特に深く考えずに、やれば、それは結果に繋がっていると僕は信じている。

 

(2010/01)

 

「テロ」について

大学の授業で「テロ」についての論文を書いている間、ぼくはテロに関する3000件以上の記事を読んできた。米同時多発テロや地下鉄ゲリラ事件をはじめとした、大小様々なテロ事件が、その裏に存在している。膨大な新聞記事を読み漁りながらぼくは、「ああ、なんだかこんな論文を“書けない”世界だったらいいのにな」と、思ったりした。ものすごく平和ボケした考えなのかもしれないけれど、テロなんて起きないような世界だったなら、そもそもこんな論文を書くことも無いのだから。

テロという暴力行為―それが良いテロにしろ悪いテロにしろ―の裏側には、おおくの死がある。怒りがある。そして、悲しみがある。たとえば「イラクの首都バグダッドで起きた自動車爆弾テロで40名が死亡した」というニュースの裏側では、いったい何人の人たちの悲しみが生まれているのだろうか。ひとりの死者には多くの家族や友人がいる。もしかしたら、恋人もいる。テロの現場で流れるのは血だけではない。涙だって流れるのだ。

ぼくらはそれにしっかりと気付き、もっと知っていかなければいけないのではないだろう。でも、ぼくらにはそれが出来ていない。出来ない。ぼくらはそんなことを対して気に掛けることもなく、「ああ、またか」とつぶやき、「日本で起きたらやだな」くらいの感想を述べる。テロに関するニュースを見たときのぼくらの感覚はえらく麻痺しているのだ。それと同じようにテロという事象の背景に存在するさまざまな問題にだって、気付くこともできていない。知ろうともしない。

そこでたいせつなのは、想像力だ。想像力を働かせながらニュースを見ていくことさえすれば、それらに気がつくことが出来る、知ることが出来る。「周りのどうなってしまっているんだろう」だとか「どうしてこんなことが起こるんだろう」ともっともっと考えて、もっともっと想像することは、簡単で意味の無いように見えて、とても難しくて意味のあることなのだ。

もうひとつたいせつなことは、偏見をなくすこと。イスラムと言えばテロ、アッラーと言えばテロ、中東はなんだか怖いなんていうくだらないステレオタイプははやく捨てて、広い視野を持つべきだ。偏見ていうとんでもなく悲しくて分厚い、邪悪な壁がどんどん膨らんで、いつしかそれがテロとその報復につながっているのだと、ぼくたちは意識しなければならない。

世界中のひとたちが、たっぷりの想像力と、おおきな視野を持ち合わせてくれれば、ぼくがこんな論文を“書かない“世界は実現するのではないだろうか。いや、実現するに違いない。少なくとも、ぼくはそう確信している。

(2010/11/14)

山奥の小北京

もう空気が薄いのにも慣れた。初日はどうなるかと思っていたが、4日もいるとさすがに体も順応する様だ。ちょうど夜だったので、僕らは飯屋を探していた。「北京中路」という街のメインストリートの周りには様々な飯屋がある。大体中華料理屋だが、どれもおいしいと聞いていたのでどこでもよかった。とりあえず、一番安そうなところに入る。中国語のメニューを読んで、片言の中国語で注文をする。そしてチャイをすすりながら少し待っていると、美味しそうなチャーハンが出てくる。箸を使ってそれを掻き込むように食べながら、ふと考える。「ここはどこなんだろう」と。

僕はその時、チベットの首都ラサに滞在していた。いくつもの山を越えて辿り着くその街の高度は3700mほどで、富士山の頂上とだいたい同じくらいである。50年前までは文字通り山奥の秘境だった。車もたった1台しかなかったようなラサは、いまでは中国で1人当たりの自動車保有台数が一番多い街へと変貌した。ここ数年の発展は輝かしいものがあり、2000年以降は年率12%くらいの勢いで経済成長を続けている。漢民族の流入も著しい。「青蔵鉄道」と呼ばれる標高5000mの高地を突っ走る長距離路線が2005年に開通して以来、物資も人も金も情報も、すべてのフローが中国からやってくるようになった。

もはやラサは山奥の「小北京」と化している。近代化の波が押し寄せ、人々の生活や文化は確実に「チャイナ・ナイズド」されてしまっている。町の中でチベット語を見る機会も聞く機会もほとんどない。大体の看板が漢字で書かれているし、店員の会話もすべてが中国語だ。ジョカン寺というチベット仏教の総本山のまわりには、なぜかヒップ・ホップファッション専門店が目立つ。爆音でアメリカ人のラップが流れる横を、老いた巡礼者がマニ車を回しながら静かに通り過ぎて行く。若者たちは夜になると革のジャケットをはおり、ジーンズにコンバースのスニーカーを履き、クラブに繰り出しては飲み、踊る。CCTVを見ながらまったりとチャイを飲みおしゃべりをしているチベットの老人たちもいる。チベット僧侶の足元を見れば、ほとんどがNIKEとadidasのスニーカーだ。

チベットを支援する人たちや、チベット難民の多くはこのような状況を見て「侵略だ」と叫ぶ。もちろん中国側は「解放」だと言って相手にしない。チベットに住んでいる人たちも、不満を抱えている人々は多いと言うが、一方でそのような人たちが中国の恩恵を受けているのも間違いではない。チベットは、もはや中国抜きでは自身を存続できない様な状況に置かれているのだ。中国は自分に徹底的に依存させることで、この状況から抜け出すことができないようにしている。中国語で「西蔵」と書くチベットには、とてつもない量の天然資源を秘めているからだ。「西部の蔵」であるチベットを、中国が簡単に手放すわけがない。

ラサ近郊のとある村に訪れたとき、僕はチベット人の小学生にカメラを渡してこう言った。「チベットっぽいものを撮ってきてよ」。少しして子どもが帰ってきて、撮った写真を見せてくれた。ダライ・ラマの写真とか牛とか、チベット仏教に関連する何かなのかな、なんて思っていた。でもそこに写っていたのは、壁に描かれた大きな中国旗だった。僕はなんだかとても複雑な気持ちになった。

(2010/09)

まちについて。

 

「Here is a fuck’in conflict city.」

エルサレム旧市街にある安いレストランで食事をしていたとき、仲良くなったパレスチナ人の店員ジョンがぼくにそう言い放った。その言い方には、ものすごい悲しさと、切なさ、そして皮肉が交わっていたに思える。たしかにエルサレムの旧市街は、ぼくが今まで見た町のなかで最も混乱した、そして最も美しい町だった。

いまからおよそ2000年以上前から存在しているエルサレムの旧市街は、たった1km四方の城壁に囲まれたちいさな町だ。ユダヤ教,キリスト教,イスラム教3つの宗教の聖地であり、町のなかには4つの地区ではそれぞれ違う宗教の人々が暮らしている。キリストが死んだという聖墳墓教会から出て、スークと呼ばれる中東独特の騒がしい市場を5分歩けば、聖ムハンマドが天に上ったという岩のドームにたどり着く。ドームの真下には、ユダヤ教徒がエルサレムを開城した跡地と呼ばれている嘆きの壁が。ヨーロッパの京都と言うだけあり、多くの歴史的遺産が混在している。さまざまな時代に作られた建物たちは、さまざまな文化と宗教を吸収していて、美しい。夜に眺める、石で作り上げられた旧市街の町並みはほんとうにきれいで、まるで映画のなかに入ってしまったような気分に陥る。

その一方でエルサレムは、イスラエルとパレスチナの紛争の最前線である。イスラエルは国際的に認められていなくとも、一方的にここを首都と宣言しているし、パレスチナも未来の首都をエルサレムと宣言しているからだ。自爆テロや小さな小競り合いが絶えない。ぼくが帰国した1週間後にも、自動車テロが旧市街で起きた。最近には、岩のドームはイスラエル兵によって強制的に閉鎖され、暴動が起きた。町には常にイスラエル兵が闊歩し、パレスチナ人を監視していた。イスラエルとパレスチナの紛争は、泥沼化しているのが現状だ。これから一向によくなる気配が見られない。ジョンが言った言葉は、そんな意味も包含しているのだろう。

最終日の夜食事をしていたぼくは、ジョンに「極楽」と書いた日本のボディタオルをプレゼントした。「It means “HEAVEN”」とぼくは言った。彼は笑った。エルサレムの旧市街が、天国のような平穏に包まれる日が果たしてくるのだろうか。

(2009/10/29)

 

手元にコーラ。

僕は大学である開発系の授業を受けている。この間、その授業でディスカッションが行われた。その中でも僕が特に興味をひかれたテーマは、「多国籍企業が低開発国(発展途上国)の貧困を助長しているのか否か」というものだ。その議論の中で、僕と同い年のある青年がアツく持論を語っていた。あまり知識がない僕は発言をせず聞くことに徹していたのだが、そんな彼の意見の趣旨をまとめるとこういうことになる。

「多国籍企業が貧困を発生させ助長させることには間違えないから確実に国家や行政が統制をすべきである」

さて、熱弁を振るう彼の手元を僕がふと見てみると、机の上には「500mlペットボトルに入ったコカ・コーラ」が置いてあった。

何が言いたいのかと言えば、ただ単に、議論し研究をし、それで満足してしまう人が多すぎるのではないか、ということである。これはコーラを飲みながら、多国籍企業を第否定する議論を交わす、とある青年だけにしか言えることではない。これを読んでいるあなただって、僕だって、全員同じことだ。自分に聞いてみてもらいたい。飢餓のこと、水のこと、貧困のことを語るとき、同じようなことをしたことが「ない人はいない」のではないだろうか?

イスラム教のラマダン(断食)は、ただ食事を我慢して忍耐力を試すものではない。ラマダンの本来の目的は、世界で飢えている人と飢えを共有し、その気持ちと食べ物の重要さを理解することにあるのだ。まさに「論より証拠」である。ひたすら考え、語っているだけでは物事は解決しない。自ら率先して何らかの行動-その大小にかかわらず―を起こすことこそが重要である、とイスラム教は僕らに説いているのである。

僕は皆さんに「飢餓の話し合いをするときは、1日以上何も食べるな」と言っているわけではない。多国籍企業を否定するならコーラを飲むなとも言っていない。それは個人の自由だし、僕らはそれらに依存し過ぎているだろう。でも、そういう考え方があって、自分たちはそれをすることができていない、ということを、ぜひとも認識してもらいたいのである。

(2009/05/14)

いただきますという言葉。

今日は食にまつわる話をひとつ。

皆さんは食べる前にいつも、なんといってからご飯を食べますか?

ぼくはもちろん「いただきます」と言ってから。

*

ぼくらにとっては当たり前なこの「いただきます」。

実はとっても深い意味があるのを知っていますか?

いただきますという言葉は、単にその食事を作ってくれた人のためだけの言葉ではありません。

実は、いただきますという言葉の奥には

その食事ができるまでにそれに関わったすべての人たちと、

その食事のもとになっている生き物すべてを

自分たちのために「いただいているんだよ」という感謝の意味合いが込められているのです。

*

たとえば唐揚げ定食ひとつとってみても、

それを作ったお母さんか、お父さんか、コックさんか、彼女か彼氏以外にも

たくさんの人がその食事にかかわっています。

それを運んだ運送業者のひと、キャベツを作った農家さん、鶏を育てた畜産農家さん、お米を育てた農家さん。

そして、かかわっているのがひとだけだとは限りません。

唐揚げ定食の主人公、唐揚げ。

ここで、ぼくらはひとつの「鳥」の「いのち」を「殺して」食べているのです。

「いただきます」という言葉には、そんなことを気付かせてくれる力があります。

ぼくらが普段忘れがちな存在を、教えてくれる言葉なんです。

*

そもそもこんな言葉を食事前に言うのは、日本くらいだそうです。

せっかく言い言葉を持っているんだから、その意味をしっかり知って、

いろんな事に気がついて、ちょっと考えてみるきっかけに使ってみてください。

もちろん、ごちそうさまもわすれずに。

(2010/10/26)