想像力×創造力について

いきなりだけれども、会田誠展に行ったとき、いちばんいいなって思ったのは、「イマジン」っていう作品だ。飛行機のコックピットからツインタワーが見えているという絵なんだけれども、「ああ、こういう視点で911同時多発テロ」を考えたことがなかったなあと、ものすごく考えさせられた。

想像力×創造力のたまものって、めちゃくちゃ力がある。

なんでそんなことを考えたのかというと、演劇「今伝えたいこと(仮)」をつくっている相馬高校放送局の顧問の先生や、女子高生たちに出会ったから。

原発や地震の被害にあった相馬高校。彼女たちは、劇やラジオや映像作品で、自分たちや福島の、相馬の人たちの思いの内を表現しているんだけれど、それがやっぱり響く。

Read More

祝島と旅立ちと

祝島、広島、京都と関西を一週間程ぶら着いていました。明日の終電で横浜に戻り、明後日から1ヶ月半ほど海外に行ってきます。

*

タイから入り、カンボジア、インド、ネパール、ドバイ、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ、トルコとユーラシアをプチ横断する予定。ネパールはビザの関係上まだ行けるか怪しいんですが、ほかは確定です。インドではチベット民族が住むラダック地方にも行くんですが、ひたすら楽しみです。

4回目のカンボジアではいつもお世話になっているNGO MAKE THE HEAVENとバサック・スラムに行って、こどもたちと遊びます。2回目のパレスチナではジェニン難民キャンプに行って、1年生のときに訪問した「Freedom Theater」に行こうと思ったのですが、イスラエル軍が最近襲撃をしたりと物騒で中止。残念だけど、しょうがない。1年のときに出会ったみんなはどうしてるのか、心配です。

ヨルダンでは高遠菜穂子さんのご協力で、イラク難民の子どもたちにカメラを渡してきます。Focus on myselfというやつです。ついにイラクの子どもたちにカメラを渡せるというのは感慨深い。ヨルダンではさらに人口の半分を占めるパレスチナ難民とも交流し、その子どもたちにもカメラを渡してきます。

さらにさらに、小学生の自分にとって衝撃だった9.11から10周年のことし、9月11日にイラク難民の若者たちと死海にいくことができるかもしれない、というのもサイコーです。言い方は悪いけど、ほんとうに楽しみです。

ああ、まじでいろいろといい経験ができそう。

*

さて、ここからは祝島のはなしです。祝島についてはこの間のブログに書いたので、どんなところかわからない人は読んでみてください。

Read More

祝島へ向かうバスの中から。原子力発電所のはなし。

夜行バスで広島に向かっています。夜行バスはなんだかロマンがあって好き。お互いに知らない人同士がおんなじバスに乗り込んで、おんなじところに向かう感じ。わくわくします。

ぼくがいま向かっているのは、祝島とい​う山口県のちいさな島。あんまり知られていないけど​、祝島の対岸2kmのところでは、中国電力が上関原発という原子力発電所を​建設しています。漁業と農業が主な産業である祝島では、20年以上前から上関原発反対運動をしていて。それ見に行こうというわけで、ぼくはいまバスに揺られているんです。

福島の一件の前から祝島の反原発運動は有名で、『ミツバチの羽音と​地球の回転』や『祝の島』のようなドキュメンタリー映画も見ました。反原発だそ​ら肯定だなんだという前に、とりあえず原発を作るところはどんな​ところなのか、そしてそこで何が起こっているのか、しっかりと見​てこようと思っています。明日,明後日はそこで過ごし、6日,7日は広島で平和記念式典や​鹿を見ます。「核」について多方面か考える4日間にしたいです。

さて。出発前、よく友達に「祝島っていう原発をつくってるとこにいく」というと​だいたいの人は祝島の存在を知りませんでした。ほとんどの人は「まだ作ってるんだ」とか「いまさら?」といっていました。そこでひとつ気にかかったことがあります。まだ、と​かいまさらっていうのは、3月11日以降の「こちら側の人たち」気持ちなんではないでしょうか、ということ。

ぼくを含めて多くの人は、3月11日まで原発なんてどうでもよか​ったはずなんです。だから何も考えなかったし、反対だなんだなんて言わなかっ​たはずなんです。ぼくらにとって原子力発電所は、いままでは単なるク​リーンな電気の供給源だった。だからぼくらはその恩恵に肖り、原​発がある場所のことなんて気に留めていませんでした。

でも3月11日、原子力発電所のリスクが自分に刃を向けた瞬間に、事実に気​づいて慌てたんです。それがぼくのいう、「こちら側の人たち」。

祝島のような原発建設地では、何十年もまえから​反対運動が行われていました。それができるのは、祝島のひとたちにとって、原子力発電所は生活​に関わるモノだから。生活を壊すモノだから。つまり、ぼくたちが無意識に許容していた原子力発電所は、そういう人たちの故郷、街を何かしらで壊していたということなんです。

それって植民地主義的で帝国主義的で、罪があるといっても過言ではない気すらします。たとえば福島のひとたちの土地を使って、のうのうと生きていたぼくたちにある、罪。

そんなことを考えていると、反原発だなんて、ぼくにいう権利はあ​るのだろうか、と思います。それこそまさに「いまさら」だから。正直なところ、原発ができようができまいが​、ぼくの生活は何も変わりがありません。残念だけどそれはほんとで。だからいま​まで気にすらしていなくて。

そういうことで、なんだか最近、ずっとモヤモヤしているんです。祝島で感じたことが、そのモヤモヤを解消してくれれば、そんな気持ちでぼくはいま、祝島に向かっています。

物見遊山で行ったところで何か解決するのか、原子力発電所問題がそれこそ「自分ゴト」になるのか。そう言われたら、否です。しかし行かないで何かを言うよりも、それはおおきく違うはず。自分たちがいままで無視し続けていた、そして興味すら持たずに生きてきた原子力発電所を知り、考え、そしてそれを生かすことのできるおおきなチャンス。それがこの祝島への旅にはあるんじゃないか、と確信を持っています。

バスは東名高速道路をまっすぐ進んでいます。がたんがたんと揺れる度に、ぼくは祝島へ近づいていきます。それはそれはおおきいモヤモヤを胸にずっしりと抱えながら、ちいさなちいさな島へと、近づいていきます。

自分の言葉

(学生団体S.A.L.のブログから転載)

『ミツバチの羽音と地球の回転』をみた。山口県のちいさな離島「祝島」で、上関原子力発電所の新設に反対する人々を写したドキュメンタリー映画だ。劇中「わしらの生活がかかってるんじゃ」「わしらの23年間を、返せ」と全力で叫んでいるおじいちゃんおばあちゃんの姿を見て、「ぼくには原発のどうこうを語る権利なんてないんだな」と自分を責めた。なぜならぼくは、遠く離れた原子力発電所で生み出された電気をずっと存分に使いながら、3月12日の水素爆発でちょっとばかり身震いをしたに過ぎないからだ。おじいちゃんおばあちゃんのように、「自分自身の言葉」でモノを言うことなんてできないからだ。ぼくは自分に脅威が及ばなければいいと心のどこかで思っているだろうし、3月12日までは日本のどこにいくつ原子力発電所があるかなんて気にしたことすらなかった。これは都市生活者の原罪なのか。

*

同じ日に、東京都写真美術館でやっていた『ジョセフ・クーデルカ プラハ1968』をみた。プラハの春の終盤、ワルシャワ条約機構群がプラハを占領した最初の7日間の様子を撮影したジョセフ・クーデルカの写真を集めた素晴らしい展示だ。モノクロで繊細な美しい写真からひとびとの悲しみや心持ちがはっきりと伝わってくる。ある写真の中のプラハ市民は拳を高く手にあげながら、ソ連軍の戦車に向かって叫び声をあげていた。写真だから何も聞こえないはずなのに、何かが聞こえてくる。ああ、この声も祝島のおじいちゃんおばあちゃんと同じような「自分の言葉」なんだな、と思った。本気で叫んだ、本音の言葉だと。

*

そんな『ミツバチの羽音と地球の回転』と『ジョセフ・クーデルカ プラハ1968』は両方とも、ひとびとの無力さとぼく自身の傍観者たる立場を痛感させられるものだった。どんなにひとびとが立ち上がって自分の言葉で叫んでも、上関原子力発電所は建設が進み、プラハの春は終わった。そしてぼくはいつもそんな状況の傍観者でしかなかった。自分の言葉を持たないゆえに、だ。でもぼくは、いつかそんな傍観者たる自分を捨て、自分の言葉で問題を語ることでひとびとの支えになりたいと強く感じている。ひとびとの言葉が決して無力でないことを、ひとびとの言葉が世界を変えていくことを、自分の言葉で証明したい。

*

だからぼくは現場に行く。見て・聞いて・感じることで、単なるハッタリでも机上の空論でもない自分の「言葉」を導きだすことができると考えているからだ。現場に行って問題を自分の経験に昇華し、それを言葉にする。そして、自分の言葉を腹の底から「叫ぶ」。自分で動かない限り、自分の言葉を持つことなんてできないのだ。「書を捨てよ町へ出よう」という言葉にあるとおり、他人の言葉を読み耽るだけではなく、自分で自分の言葉を創りだそう。そのために、動き出そう。そうやってぼくは、少し重い腰の自分にいつも言い聞かせる。

*

この夏、ぼくは祝島に行く。原子力発電所問題を、少しでも自分の言葉にするために。「権利がない」で終わらせないために。いつかその言葉で、苦しむひとびとを助けるために。

文責:はたちこうた

●参考
ミツバチの羽音と地球の回転 http://888earth.net/index.html
ジョセフ・クーデルカ プラハ1968 http://www.syabi.com/contents/exhibition/index-1353.html

震災について、思ったこと。

震災はまだ終わってないんだよな、と思う。ほんとうはまだ震災という事態は継続しているんじゃないか、と。

震災っていう事象はあの瞬間から今に至るまで連綿と続いていて、ぼくたちはその「線」の一番前でこの瞬間を生きている。でもぼくたちはその線の一番前にいることに気づいていない、気づこうとしていない。

あまりにもこれからのことが不確実すぎて、ぼくたちはその事実に気づこうとしていないのか。それとも、もうとっくに連綿と続いた線が途切れていて、自分たちの力で歩き出していると思い込んでいるのか。どちらかはわからないけれども、とにかく線は途切れること無く続いているし、ぼくたちは間違いなくその先頭にいて、いまも動きつづけている。

地震が少なくなってきたから、緊急地震速報が減ったから、街も明るくなってきたから、原発もあんまり話を聞かないから、季節が変わったから、被災地も落ち着いてきたらしいから。だから震災前の「日常」に、ぼくたちは戻ることができた。そんな風にいえることが本当にあり得るのか。いや、あり得ないだろう。

これからぼくたちが出会う日常は、もしくはいまぼくたちが日常と思い込んでいる日常は、もはやいままでの「日常」ではない。その日常はあの瞬間を境に、消えて無くなってしまったモノだ。ぼくたちはそれに縋るのではなく、過去の日常に回帰することを目標とするのではなく、新しい日常を捉えなくちゃいけない、新しい日常に気がつかなくてはいけない。仮に新しい日常が、あの瞬間以前では「異常」であろうとも、それが線の一番前にいるぼくたちにとっての日常なのだから。ぼくたちは、「現実」を受け入れなくてはいけない。

もちろん、思い込みや忘却は悪いことではない。忘却をすることで、過去の日常に戻ったような気分になることはできる。そうすれば心だって休まるし、楽しくなる。でも何から何まで忘却したら、意味がない。時代そのものが動き出しているいま、ぼくたちの果たせる責務というのは忘却をすることではないのではないだろうか。

ぼくたちに果たせる責務とは、伸び続ける線の先頭で流れ行く後ろの方を見ながら、いままでに起こったひとつひとつのことを見直すこと。そして、線の先にあるだろう不確実で異常な日常に備えていくことなんじゃないか。それはきっと、いつか線が途切れたときにとても意義のあることになっていくはずだ。未来への希望に、なっていくはずだ。そのために、これからを生きていくぼくたちは、忘却をするのではなく責務を果たすために「意識」をしていかなくてはいけないのだ。

「もうダメだこれ、現実だから」。南三陸町が津波に飲み込まれる映像を冷静に撮影し続けた少女は、自分が生きた街が消えていく様子を見ながら、そうつぶやいた。ぼくたちも、そうやって現実を受け入れなくてはいけない。現実に、気がつかなくてはいけない。そして、強くならなくてはいけない。そんなふうに考えて、ぼくは自分の中にあったもやもやをやっと昇華した。

震災3ヶ月目と4日目の、夜が明ける。

 

*最後のひとことは、http://www.youtube.com/watch?v=jxng4VE8ptw 7分辺りから。

写真の持つちから

この三連休、僕は東京都写真美術館が主催の「写美フォトドキュメンタリーワークショップ」に参加した。プロのフォトジャーナリストであるQ.サカマキさんと、AERAでフォトエディターをしている外山さんを講師とするワークショップで、将来フォトジャーナリストを目指す自分にとってはとても刺激的な時間だった。ワークショップを通じて、僕は「写真」の持つ力の素晴らしさを改めて実感することができた。

フォトジャーナリストに求められる最大の要素は、そこにある問題をどれだけ「美しく」「強く」そして「シンプルに」切り取ることができるかどうか、だ。それらの要素を兼ね備えた写真は、見ているヒトの心をがっしりと掴んで離さない。見ているヒトが写真の中に引き込まれてしまうような錯覚を覚える事もあるだろう。僕は、そうなる。

国際問題を伝える方法は、様々なものがある。講演会や文章、機関誌や映像、ホームページ。別に写真じゃなくてもいいじゃん、と言われると、そんな気もしてくる。

でも、ヒトに「こんな問題があるんだから、知らないとダメですよ!こんな可哀想なヒトたちがいるんだから、知らないとダメですよ!」とお説教するようじゃ、なかなか問題を伝えることはできない。ヒトはそういう伝え方を拒絶しがちだ。特にそもそも問題に対して興味がないヒトたちは、「自分はそんなことに触れたくない」と思ってしまう事がほとんどだと思う。

写真は、そういう壁をさらりと超えて行く。だから僕は、写真の伝える力を信じている。写真という「アート」か「ドキュメント」か、極めて曖昧な立ち位置にいる媒体だからこそ、そんな芸当がなせるに違いないだろう。写真という美しい布は、「問題」を優しく包み込むことで、見ているヒトの心にしっかりと入り込んでいく。それは、見ているヒトが自分から「何が起きているのか知りたい」と思ってしまうような魔法の力を持っている。

しかし、アートかドキュメントか曖昧な写真は、諸刃の剣でもある。それは、問題を「作品化」してしまうからだ。フォトジャーナリストは、時には死体の写真を撮ることもある。飢餓で苦しむ人々を撮ることもある。紛争の瞬間を撮ることもある。でも、それらを美しい構図の中に収めると、映っている問題は「静物」として変換されてしまう。それはアートとしての作品を成す、ひとつの要素に過ぎなくなってしまうのだ。それはある種、問題そのものを覆い隠してしまうことになり兼ねない。見ているヒトの感覚を麻痺させてしまうからだ。

アートなのか、ドキュメントなのか。

フォトジャーナリストはそのジレンマに耐えず苦しむこととなる。中にはそんな批判の矢面に立たされるフォトジャーナリストもいるし、倫理的な悩みを抱えて自殺してしまった方もいる。写真という極めて曖昧でナイーブな媒体を通すことには、それなりの責任が生じるのである。

しかし、そういう面を持っているからこそ、写真は魅力的で効果的な媒体なのだと、僕は考えている。

「一枚の写真が、世界を変えることがある。」

これは、報道写真誌DAYS JAPANの表紙に書かれている言葉だ。写真にはそれくらい強い力があると、僕は信じている。そしていつの日か、自分がそんな写真を撮ることができれば、と夢を見る。

僕の、フォトジャーナリストを志す気持ちは揺らがない。

◎追記
あと以下の写真がそのワークショップで作ったフォト・エッセイ。
テーマは「移動する人々」。

001_Hatachi.jpg

002_Hatachi.jpg

003_Hatachi.jpg

004_Hatachi.jpg

005_Hatachi.jpg

006_Hatachi.jpg

007_Hatachi.jpg

 

(2010/10/22)