カンボジアに行ってきます

明日からカンボジアに行ってきます。

3度目。

母校慶應義塾高等学校カンボジアスタディツアーの引率という形で、
塾高生15人と、心強い教師陣と共に出発。

就職活動の折にこんなんいいのかと思うのだけれども、楽しみです。

唯一のネックは朝7時半に成田集合ということ。

*

とにかく

プノンペン近郊にあるバサックスラムに再訪するのが楽しみです。
名前を覚えてくれているみんなと会うことしか考えていません。

アンコールワットも行けるということで、
前回のアンコールワットは赤痢でまったく行けなかったのでわくわくしています。

*

シェムリアップのかものはしプロジェクトでは、塾高生と一緒にプロジェクトをやってきます。

コミュニティファクトリーという現地の貧困層の女性が働く場所に行って、
ワーカーの人達にぼくがデザインしたTシャツ(写真)を配り、
そこにカンボジアらしいものを書いてもらうプロジェクト。


ぼくたちはその場で同じデザインのTシャツに日本らしいものを書いて、
お互いの描いたTシャツを交換するというわけです。

絵を描くという行為に果たしてなんらかの意味があるのかはわかりません。
情操教育という観念から見れば意味があるかもしれないけれども、

それはこっちからのエゴかもしれないし、
なんたって相手は20歳前後の女性だし。

でも、
「Tシャツ」という実際に有用なものを渡すということは、
決してマイナスには働かないだろうということで企画しました。

なんとなく使えるし、描くという行為で向こうの記憶にも残りやすいし、僕らが描いたものと向こうのものを交換するということで、ある程度のコミュニケーションが生まれるし。

どうなるかはわからないけれども、楽しみです。

*

いってきます。

カンボジアで贅沢する方法

08年2月。僕は生まれて初めて訪れたアンコールワットの、トイレにいた。アンコールワットの中には入っていない。腹痛がひどく、歩けなくなったからだ。発展途上国に行けば下痢になるのは当たり前と良く聞く。水が合わないだとか、食べ物が合わないだとか、理由は様々だろう。しかし、今回の腹痛は、明らかに普通ではなかった。僕は思ったのだ。お腹の中に、何かがいると。

お腹の中にいたのは、アメーバだった。病名はアメーバ赤痢。まさか自分が生きているうちに赤痢になるとは思ってもいなかった。生まれて初めての入院が、カンボジアだとも、思ってもいなかった。抗生物質を打てば治りますとか医者は笑いながら言っているけど、正直不安だった。なんたって、赤痢は一応致死率14%なのだから。赤痢の潜伏期間は、およそ5日間。5日前と言えば、ちょうどカンボジアのド田舎で井戸掘りをして、「お礼に」と、村人に採れたてのハツを勧められた日だった。あの時ハツを食わなきゃよかったなあと後悔しつつも、僕は病室に入った。

僕の不安を余所に、病室の中は素晴らしい設備で充実していた。完全個室で、バストイレ付き。大型液晶テレビもあれば、食事は中華・和食・洋食選び放題。さすが1泊11万円の、外国人観光客用の病院だ。コーラが1本30円の国でその値段だから、日本の病院より全然素晴らしい。さっきまでの不安は全て無くなった。ちょっとくらい下痢しても、手の甲が痛くても、これほど素晴らしい設備でまったりしていられるならそれで充分。たっぷりとリラックスしたおかげで、僕は一泊の入院でほぼ完治。無事帰国する事ができた。ちなみにお金は、全額保険で下りたので心配はいらない。

もしあなたがカンボジアに行った時「お金が無いけれど、ちょっとゼイタクしたい」と思ったら、ド田舎でハツを食べよう。そうすれば、素晴らしい設備の病院でラグジュアリーな体験ができる。もちろん、海外旅行保険に入るのには忘れずに。あ、あとハツは帰国ギリギリに食べてはいけない。日本で赤痢を発症すると、保健所から戦車みたいなのがやってきて、白い防護服を着た人たちに家中完全消毒されるらしい。あしからず。

(2009/5)

ハイチ大地震と募金

ハイチで地震があった。すでに11万人の死亡が確認されているというが、その規模は正直実感が沸く人数ではないし、そのためか悲しみとかそういう類の気持ちも感じない。ほとんどの人がそうなんじゃないかと思う。でも地震のニュースを聞いたり現地の写真や映像を見たりすることで、少なからず後ろめたさを感じた人もいたのではないだろうか。なんで自分はこんな状況にいてなんもしていないのか、だとか、自分は安全な場所にいてよかったなあ、とか。ちなみに、おいしいコロッケを食べながらハイチからの映像を見ていた僕は、その「後ろめたさ」を感じた。

そういう後ろめたさは、「自分にも何かできることがないか」という気持ちを引き起こすことが多い。でも、自分が今すぐ飛行機に飛び乗ってハイチに行くことはできないから、ほぼ全員は国内で「なにかできること」をする。そしてほとんどの人は、家や生活圏内から、「なにかしよう」とする。そう、募金だ。募金はある種、「良い状況に置かれている自分が何もできない」という罪悪感に対する免罪符とも言えるのかもしれない。もしくは、自分が何かしらの形でハイチに関われたことに対する「自己満足」を引き出そうとしているだけなのかもしれない。

そういう意味で募金を批判する人は少なくない。しかし、僕は逆に聞きたい。免罪符や自己満足になろうとも、それの“何がいけないんだ”と。その募金があるべきところにされ、使われるべきところに使われて、ハイチで苦しんでいる人々が少しでも助かるのならば、その間の道筋がどういうものでも良いのではないか。募金以外にできることがあるにもかかわらず、募金だけで自己満足で悦に浸っている人がいるのならば、それは確かに批判に値するかもしれない、が。

だから僕は、変に募金を批判したり毛嫌いしたり、自己満足だから気が引ける…なんか思ってないで、とりあえず募金しとけよ、と思う。100円でも1000円でも、チリが積もれば山となるのが募金の原理なんだし、みんながそういう意思で動いて巨額が集まるんだから。できることから、特に深く考えずに、やれば、それは結果に繋がっていると僕は信じている。

 

(2010/01)

 

ほほえみ

ぼくはその日、ヒンドゥ教の聖地であるバラナシ駅1番線のホームで寝台列車を待っていた。インド-ネパール国境の近くにある町、ゴダプールに向かう列車である。時刻は午前0時過ぎ。列車は定刻から1時間以上遅れていたけれども、到着する気配はまるでない。待つこと以外にすることもないので、ぼくはベンチに座りながらぼーっと辺りの様子を眺めていた。チャイをすすっている人、新聞を読んでいる人、おしゃべりをしている人、寝ている人…。さまざまな人々が、それぞれ思い思いの時間を過ごしていた。

 

そんな人々の雑踏の中から、一歩一歩、ゆっくりとこちらに近づいてくるか弱い影が目に入ってきた。その細い、小さな影はどんどんこちらに近づいてきて、それがどうやら子どもの影であることが分かるくらいになった。ついに足が見えたその瞬間、ぼくはふとあることに勘付きその陰からとっさに視線をそらした。「物乞いが来た」、と感じたのである。

 

インドを旅するとだいたいどこの町でも物乞いに会う。子どもの物乞い、老人の物乞い、障害を抱えている方の物乞い、赤ん坊を抱きしめた女性の物乞い・・・。外国人である僕らはお金持ちと考えられているのか、常に彼らから手を差し出される。それは小さな手だったり、皺が切り刻まれた手だったり、指が無くなってしまった手だったりする。「物乞いにお金を渡すとキリがなくなるから無視をした方がいい」と言う人もいるが、それは人それぞれだろう。ぼくは出来る限りお金を渡そうと最初から決めていたし、出来る限りそうしてきた。

 

ぼくの方に近づいてきた物乞いは、やはり子どもだった。たぶん男の子だろう。子どもと言っても14歳くらいの彼は、文字通り骨と皮しかないほどやせ細っていて、げっそりとした顔つきをしていた。彼はしきりにぼくの方に手を伸ばしてきたが、そのときばかりはどうしてもお金を渡す気になれなかった。長い旅路で疲れが溜まっていたし、なかなかやってこない電車に対して苛々していたからだ。だからぼくは目を合わせず、彼を無視し続けた。

 

それでも彼はいなくなろうとはしなかった。そのまま無視をし続けようとしたが、何分かしてぼくは本当にどうしようもない気持ちになって、朝食用にと買ったクッキーを3枚、そっと彼の掌に載せた。彼は何も言わずにそれを握りしめ、そのうち1枚を口に入れた。そのときだった。彼はクッキーを味わうように噛み締めながら、ぼくの顔をじっと見つめ、ゆっくりとほほ笑んだのだ。ありがとうと言う意味なのか、おいしいと言う意味なのか、何なのかわからない。けれども、そのほほえみは確かに本物だった。少なくとも、ぼくにはそう感じたのだ。どう反応していいかわからなかったぼくは、そのほほえみに対して、小さく頷き返した。すると彼はぼくを見つめながら同じように頷き、残りのクッキーをそっとポケットにしまうと、ぼくの前からいなくなった。

 

列車が2時間遅れでやってきてベッドに寝転んだあと、ぼくはしばらく眠りに着くことが出来なかった。彼のほほえみと頷きが、なんだか心につかえたまま消えなかったからだ。あのほほえみの意味はなんだったんだろうか、あの頷きの意味はなんだったんだろうか。ぼくがしたことは本当に正しかったのだろうか、なにか他にしてあげられることはなかったのだろうか。天井に備え付けられたファンの回転音だけが妙に頭の中にこだまし、考えはどうしてもまとまりきらず、ついに答えを見つけることはできなかった。電車が次の駅に着くころには、僕は眠りに着いていた。

 

(2010/10)

 

「テロ」について

大学の授業で「テロ」についての論文を書いている間、ぼくはテロに関する3000件以上の記事を読んできた。米同時多発テロや地下鉄ゲリラ事件をはじめとした、大小様々なテロ事件が、その裏に存在している。膨大な新聞記事を読み漁りながらぼくは、「ああ、なんだかこんな論文を“書けない”世界だったらいいのにな」と、思ったりした。ものすごく平和ボケした考えなのかもしれないけれど、テロなんて起きないような世界だったなら、そもそもこんな論文を書くことも無いのだから。

テロという暴力行為―それが良いテロにしろ悪いテロにしろ―の裏側には、おおくの死がある。怒りがある。そして、悲しみがある。たとえば「イラクの首都バグダッドで起きた自動車爆弾テロで40名が死亡した」というニュースの裏側では、いったい何人の人たちの悲しみが生まれているのだろうか。ひとりの死者には多くの家族や友人がいる。もしかしたら、恋人もいる。テロの現場で流れるのは血だけではない。涙だって流れるのだ。

ぼくらはそれにしっかりと気付き、もっと知っていかなければいけないのではないだろう。でも、ぼくらにはそれが出来ていない。出来ない。ぼくらはそんなことを対して気に掛けることもなく、「ああ、またか」とつぶやき、「日本で起きたらやだな」くらいの感想を述べる。テロに関するニュースを見たときのぼくらの感覚はえらく麻痺しているのだ。それと同じようにテロという事象の背景に存在するさまざまな問題にだって、気付くこともできていない。知ろうともしない。

そこでたいせつなのは、想像力だ。想像力を働かせながらニュースを見ていくことさえすれば、それらに気がつくことが出来る、知ることが出来る。「周りのどうなってしまっているんだろう」だとか「どうしてこんなことが起こるんだろう」ともっともっと考えて、もっともっと想像することは、簡単で意味の無いように見えて、とても難しくて意味のあることなのだ。

もうひとつたいせつなことは、偏見をなくすこと。イスラムと言えばテロ、アッラーと言えばテロ、中東はなんだか怖いなんていうくだらないステレオタイプははやく捨てて、広い視野を持つべきだ。偏見ていうとんでもなく悲しくて分厚い、邪悪な壁がどんどん膨らんで、いつしかそれがテロとその報復につながっているのだと、ぼくたちは意識しなければならない。

世界中のひとたちが、たっぷりの想像力と、おおきな視野を持ち合わせてくれれば、ぼくがこんな論文を“書かない“世界は実現するのではないだろうか。いや、実現するに違いない。少なくとも、ぼくはそう確信している。

(2010/11/14)

腕時計

腕時計なんて、そもそもどんなものも似たり寄ったりだ。色や形に多少の違いはあれども、強烈に記憶に残るものなんてほとんどない。たまにあったとしても、それはフランク・ミューラーだとかダイヤモンドがちりばめられているだとか、そういう類であることが多い。よっぽどの腕時計マニアじゃなければ、ひとつひとつの腕時計を記憶することなんかできないだろう。僕は腕時計マニアではないし、高級腕時計を持っているわけでもない。要は腕時計に無頓着なのだが、実はそんな僕にも人生で唯一忘れることのできない腕時計がある。きっともともとは何の変哲もない、数多ある普通の腕時計のひとつに過ぎなかったに違いない。しかしその腕時計が放つ不思議なオーラは僕に恐怖を与えるし、なんだか持ち主の人生が丸ごと包含されている様な重みがある。

その腕時計は今この瞬間も、ガラスケースの中にそっと置かれていて、「8時15分」を指したまま止まっている。熱線でボロボロになったベルト、爆風で曲がった時針、焦げた文字盤。腕時計は、その日の8時14分までは普通に時を刻んできた。しかし「ある瞬間」を越えてから、「その瞬間」を記憶したまま二度と動かなくなってしまったのである。持ち主は出勤途中だったのだろうか、通学途中だったのだろうか、それは誰にもわからない。しかし、「持ち主」というひとりの人間の影みたいなものが、その腕時計には少しだけ残っているようにも感じる。誰かがついさっきまでそれを身につけていて、ふと文字盤に目をやったりしているのではないか、と思わせる生温かさがある。その生温かさはなんだか不気味でもある気がするし、安心感がある気もする。

腕時計は、僕たちに想像力を与える。その瞬間に何が起こったのか、一瞬にして全てが失われ、破壊されると言う恐ろしさに気付くことが出来る想像力だ。人ひとりの人生が一瞬で終わってしまうこと、そして人ひとりがほんとうに小さい存在で、簡単に消え去ってしまうことに気付くことが出来る、想像力だ。そしてその想像力は僕らの感情に訴えかけ、怒りや悲しみを覚えるようになる。ひとつの腕時計なのに、そこまで人を動かしてしまう力を持っているのである。

腕時計なんて、そもそもどんなものも似たり寄ったりだ。でも「8時15分」と「11時2分」を指したまま止まってしまったいくつかの腕時計たちは、色や形に多少の違いはあれども、世界を変える大きな力を持っている。僕らはそれを見て、多くのことを知るし、気付くことができる。永遠に時を刻まなくなった腕時計は、永遠にその瞬間を記憶し続け、永遠に「その出来事」を物語るのである。

(2010/09)

山奥の小北京

もう空気が薄いのにも慣れた。初日はどうなるかと思っていたが、4日もいるとさすがに体も順応する様だ。ちょうど夜だったので、僕らは飯屋を探していた。「北京中路」という街のメインストリートの周りには様々な飯屋がある。大体中華料理屋だが、どれもおいしいと聞いていたのでどこでもよかった。とりあえず、一番安そうなところに入る。中国語のメニューを読んで、片言の中国語で注文をする。そしてチャイをすすりながら少し待っていると、美味しそうなチャーハンが出てくる。箸を使ってそれを掻き込むように食べながら、ふと考える。「ここはどこなんだろう」と。

僕はその時、チベットの首都ラサに滞在していた。いくつもの山を越えて辿り着くその街の高度は3700mほどで、富士山の頂上とだいたい同じくらいである。50年前までは文字通り山奥の秘境だった。車もたった1台しかなかったようなラサは、いまでは中国で1人当たりの自動車保有台数が一番多い街へと変貌した。ここ数年の発展は輝かしいものがあり、2000年以降は年率12%くらいの勢いで経済成長を続けている。漢民族の流入も著しい。「青蔵鉄道」と呼ばれる標高5000mの高地を突っ走る長距離路線が2005年に開通して以来、物資も人も金も情報も、すべてのフローが中国からやってくるようになった。

もはやラサは山奥の「小北京」と化している。近代化の波が押し寄せ、人々の生活や文化は確実に「チャイナ・ナイズド」されてしまっている。町の中でチベット語を見る機会も聞く機会もほとんどない。大体の看板が漢字で書かれているし、店員の会話もすべてが中国語だ。ジョカン寺というチベット仏教の総本山のまわりには、なぜかヒップ・ホップファッション専門店が目立つ。爆音でアメリカ人のラップが流れる横を、老いた巡礼者がマニ車を回しながら静かに通り過ぎて行く。若者たちは夜になると革のジャケットをはおり、ジーンズにコンバースのスニーカーを履き、クラブに繰り出しては飲み、踊る。CCTVを見ながらまったりとチャイを飲みおしゃべりをしているチベットの老人たちもいる。チベット僧侶の足元を見れば、ほとんどがNIKEとadidasのスニーカーだ。

チベットを支援する人たちや、チベット難民の多くはこのような状況を見て「侵略だ」と叫ぶ。もちろん中国側は「解放」だと言って相手にしない。チベットに住んでいる人たちも、不満を抱えている人々は多いと言うが、一方でそのような人たちが中国の恩恵を受けているのも間違いではない。チベットは、もはや中国抜きでは自身を存続できない様な状況に置かれているのだ。中国は自分に徹底的に依存させることで、この状況から抜け出すことができないようにしている。中国語で「西蔵」と書くチベットには、とてつもない量の天然資源を秘めているからだ。「西部の蔵」であるチベットを、中国が簡単に手放すわけがない。

ラサ近郊のとある村に訪れたとき、僕はチベット人の小学生にカメラを渡してこう言った。「チベットっぽいものを撮ってきてよ」。少しして子どもが帰ってきて、撮った写真を見せてくれた。ダライ・ラマの写真とか牛とか、チベット仏教に関連する何かなのかな、なんて思っていた。でもそこに写っていたのは、壁に描かれた大きな中国旗だった。僕はなんだかとても複雑な気持ちになった。

(2010/09)

緑色のプロレタリア

ぼくは、緑色のエプロンがトレードマークのスターバックスでアルバイトをしている。どこのスターバックスかと言えば、横浜中華街。道行く人の多くは「ここにスタバかよ」と笑う、そんな店だ。

アメリカのスターバックスが経営的に失敗してしまった理由のひとつに、店舗を過剰に拡大しすぎたことがあると言われている。どうやら中華街までに進出してしまう日本のスターバックスも同じ道を辿ろうとしているらしく、店内で閲覧できる社外秘の文書には「当社の予想シナリオ以上に事態は悪化している」と書かれていた。たしかに「ちょっと高級なカンジ」を演出するカフェとしては店舗数が多すぎるし、昨今のブランド力の低下は否めない気もする。そんな会社の危機的状況を打開すべく、日本のスターバックスでは現在進行中の計画「五カ年計画」が存在する。資本主義の恩恵にあやかった多国籍企業が旧ソ連における社会主義計画の名前を捩るのもどうかと思うが、とにかくそこにはひたすら利益追求に関することが書かれていた。社外秘なのであまり多くは語れないが。

ある日僕が店長に「求めるのは利益だけでいいのか」と聞くと、店長は「パートナー(スターバックスでは店員をこう呼ぶ)として唯一できること、お客様のことを考えることをしていく必要がある。利益はお客様に直結している」と答えた。ということは、結局お客様は利益を得るための単なる手段であり、最高の目標はひたすら利益であるということになる。

何かおかしい気もするが、だからといってスターバックスを否定するつもりはない。なぜなら僕は「自分の東京三菱UFJ銀行の口座に、毎月25日に振り込まれるいくらか」という利益が欲しいために、「お客様を思いやる」労働をしているだけだから。それはスターバックスの利益追求の理念となにも変わらないし、アルバイトなんて、所詮そんなものだろう。僕はスターバックスと言う組織のピラミッドの最底辺にいる、ただのプロレタリアなのだ。お店がどこにあろうと、アメリカのスターバックスが失敗しようと、結局僕は毎月25日を楽しみにしているだけなのである。

 

(2009/05/27)

 

まちについて。

 

「Here is a fuck’in conflict city.」

エルサレム旧市街にある安いレストランで食事をしていたとき、仲良くなったパレスチナ人の店員ジョンがぼくにそう言い放った。その言い方には、ものすごい悲しさと、切なさ、そして皮肉が交わっていたに思える。たしかにエルサレムの旧市街は、ぼくが今まで見た町のなかで最も混乱した、そして最も美しい町だった。

いまからおよそ2000年以上前から存在しているエルサレムの旧市街は、たった1km四方の城壁に囲まれたちいさな町だ。ユダヤ教,キリスト教,イスラム教3つの宗教の聖地であり、町のなかには4つの地区ではそれぞれ違う宗教の人々が暮らしている。キリストが死んだという聖墳墓教会から出て、スークと呼ばれる中東独特の騒がしい市場を5分歩けば、聖ムハンマドが天に上ったという岩のドームにたどり着く。ドームの真下には、ユダヤ教徒がエルサレムを開城した跡地と呼ばれている嘆きの壁が。ヨーロッパの京都と言うだけあり、多くの歴史的遺産が混在している。さまざまな時代に作られた建物たちは、さまざまな文化と宗教を吸収していて、美しい。夜に眺める、石で作り上げられた旧市街の町並みはほんとうにきれいで、まるで映画のなかに入ってしまったような気分に陥る。

その一方でエルサレムは、イスラエルとパレスチナの紛争の最前線である。イスラエルは国際的に認められていなくとも、一方的にここを首都と宣言しているし、パレスチナも未来の首都をエルサレムと宣言しているからだ。自爆テロや小さな小競り合いが絶えない。ぼくが帰国した1週間後にも、自動車テロが旧市街で起きた。最近には、岩のドームはイスラエル兵によって強制的に閉鎖され、暴動が起きた。町には常にイスラエル兵が闊歩し、パレスチナ人を監視していた。イスラエルとパレスチナの紛争は、泥沼化しているのが現状だ。これから一向によくなる気配が見られない。ジョンが言った言葉は、そんな意味も包含しているのだろう。

最終日の夜食事をしていたぼくは、ジョンに「極楽」と書いた日本のボディタオルをプレゼントした。「It means “HEAVEN”」とぼくは言った。彼は笑った。エルサレムの旧市街が、天国のような平穏に包まれる日が果たしてくるのだろうか。

(2009/10/29)

 

手元にコーラ。

僕は大学である開発系の授業を受けている。この間、その授業でディスカッションが行われた。その中でも僕が特に興味をひかれたテーマは、「多国籍企業が低開発国(発展途上国)の貧困を助長しているのか否か」というものだ。その議論の中で、僕と同い年のある青年がアツく持論を語っていた。あまり知識がない僕は発言をせず聞くことに徹していたのだが、そんな彼の意見の趣旨をまとめるとこういうことになる。

「多国籍企業が貧困を発生させ助長させることには間違えないから確実に国家や行政が統制をすべきである」

さて、熱弁を振るう彼の手元を僕がふと見てみると、机の上には「500mlペットボトルに入ったコカ・コーラ」が置いてあった。

何が言いたいのかと言えば、ただ単に、議論し研究をし、それで満足してしまう人が多すぎるのではないか、ということである。これはコーラを飲みながら、多国籍企業を第否定する議論を交わす、とある青年だけにしか言えることではない。これを読んでいるあなただって、僕だって、全員同じことだ。自分に聞いてみてもらいたい。飢餓のこと、水のこと、貧困のことを語るとき、同じようなことをしたことが「ない人はいない」のではないだろうか?

イスラム教のラマダン(断食)は、ただ食事を我慢して忍耐力を試すものではない。ラマダンの本来の目的は、世界で飢えている人と飢えを共有し、その気持ちと食べ物の重要さを理解することにあるのだ。まさに「論より証拠」である。ひたすら考え、語っているだけでは物事は解決しない。自ら率先して何らかの行動-その大小にかかわらず―を起こすことこそが重要である、とイスラム教は僕らに説いているのである。

僕は皆さんに「飢餓の話し合いをするときは、1日以上何も食べるな」と言っているわけではない。多国籍企業を否定するならコーラを飲むなとも言っていない。それは個人の自由だし、僕らはそれらに依存し過ぎているだろう。でも、そういう考え方があって、自分たちはそれをすることができていない、ということを、ぜひとも認識してもらいたいのである。

(2009/05/14)