Focus on Myself

この9月に、ヨルダンでイラク難民とパレスチナ難民の子どもたちにインスタント・カメラを配ることになった。ぼくが大学1年生のときに奥田綾香と一緒に生み出した、この「Focus on myself」というプロジェクト。ぼくたちはそのプロジェクトの一環として、いままでカンボジア・日本・インド・チベットの100人以上の子どもたちにカメラを配ってきた。このプロジェクトはぼくの大学生活そのものになりつつあるし、これからもずっとずっと何らかの形で関わっていきたいプロジェクトでもある。

そんなFocus on myselfに対して、ここにひとつ「大きな問い」がある。

ぼくたちは、子どもたちにカメラを渡して何がしたいのか。子どもたちに「たいせつなもの」「つらいこと」「自分の国の紹介」を撮ってもらうことで、何をしたいのか。

この問いに対して、ぼくが思う答えはまずひとつ「自分の視野を広げていきたい」ということだ。そして、その視野の拡大を自分だけではなく、他者にも共有したいということ。さらには子どもたち自身にも、共有したいということである。このプロジェクトをはじめたうちから、ぼくはずっとこの3つを自分の中心に置いてきたし、それはいまでも変わっていない。このプロジェクトがそもそもは単純な好奇心の延長であることに、間違いはないのだ。

じゃあ、ぼくたちはこれからこのプロジェクトをどうしていきたいのか。

正直この点に関しては、ぼく個人がとやかく言うことではないだろう。でもぼくとして思うことは、もっともっとたくさんの子どもたちの写真を見たい。見せたい。広げたい。できることならば、世界の国すべての子どもたちの写真を集めたい。そして見たい。見せたい。広げたい。それだけだ。

「え、そんなもんなんだ」と感じる人も多いと思うけれども、そんなもんで逆に何がダメなんだ、とぼくは思う。ぼくはこのプロジェクトにおけるだいじなところが「子どもたちにカメラを渡す」という行為にあると考えていない。

ぼくが思っている、このプロジェクトのだいじなところ。それは、ぼくたちが頑張って集めてきた何千枚の写真たちから、玉石混交の「要素」を汲みとっていくこと。そしてそれを整理して、考えて考えぬいて、ひとつの「形」にまとめていくことだ。これこそが、このプロジェクトにおいて一番大切で、かつ忘れてはいけない根幹の部分なんじゃないだろうか。なぜなら、この一連の「作業」をしっかりと進めれば、ぼくたちは子どもたちの心情や本音、もしくは世界の現実や真実を見出していくことができると信じているからだ。

実際に3年間このプロジェクトを続けてきたぼく自身は、そんな一連の作業を繰り返してきて、少しだけれども「形」を見出すことができたと思う。心情や本音や現実や真実を、見出すことができたと思う。それはたとえば、カンボジアの子どもたちの写真から見出した「我慢している子どもたち」や、チベットの子どもたちの写真から気がついた「民族アイデンティティの変容」。インドの子どもたちの写真からの「独特の多様性」や、日本の子どもたちの写真からの「コミュニティの希薄化」などである。

これらを見出すのは簡単な作業ではなかった。しかし、つまらない作業でもなかった。見出すことができた「形」はどれも些細なことばかりだが、これらは確実にこのプロジェクトそのものに意味を加えてくれたに違いないだろう。

さらにぼくは、こうやって見出してきた「形」をどうにか発信しようと心がけてきた。いろんな人に、いろんなことを新しく「見出してもらおう」と心がけてきた。なぜならそのふたつの部分が、このプロジェクトにおいて一番だいじなところだから。形を見出すことですら難しい作業なのだから、それらを発信しようと、もしくは自発的に見出してもらおうとすることはとても難しい。でも、そこで諦めてはいけない。諦めここままでいたら、ぼくたちは単なる「子どもたちのカメラを運ぶ脇役」に過ぎない存在になり得る。実際にそうではなくても、そう見えてしまう。

「子どもたちが主役」であるこのプロジェクトにおいて、ぼくたちが単なる「カメラを運ぶ脇役」に収まることを避けるために、ぼくたちはこのプロジェクトのもっと根本的な部分を見出す努力をして、それを発信する努力をして、さらには「見出してもらう」努力をしなくてはいけないだろう。ただ機械的に子どもたちにカメラを渡しただ粛々と写真展をしているだけじゃ、このプロジェクトは面白くない。子どもたちの写真に関して考えて見出して、それを伝えることにこそ、面白みがあり意義があるのだ。

Focus on myselfがこれからもいいプロジェクトでいてくれるために、ぼくも、もう少しだけの間そうしていきたい。そしてそれが、もっともっと大きくて素晴らしいたくさんの「形」を生み出すことを願っている。ひとりでも多くの子どもたちの写真が形を紡ぎ上げていくことを、願っている。