「あの人は凄い」という簡単な一言について

ぼくは最近誰かを「凄い」と言い切ることに、やけに違和感を感じている。特に意識せずに言うことが多々あるからだ。だからぼくは、「あの人は凄い」という簡単な一言を考える。誰かを凄いと決めつけることは果たして、いいことなのか。

誰かを凄いとすること、それはその人を自分と違う立場にあると決定付けることになる。つまり、「あの人は凄いから」と決め付けることはある種自分に対しての諦めを生み出していて、それに甘んじる機会を無意識に作り上げているのではないか、ということだ。自分がやらないこと・できないことを正当化するための免罪符になってしまっているのではないか。

それに加えて、誰かを凄いと言い切ることは、その人がしてきた努力などを否定することにはならないか。「凄い」から「何か」できるという等式は本来成り立たないはずだ。なぜなら「何か」を成し遂げるためには、見えない努力の積み重ねがたくさんあるから。「凄い」の一言でその人に対する評価をまとめることは、その人の見えない努力をすべて無視し、なかったことかのように集約させてしまってはないだろうか。

諦めを正当化していて自虐的で、さらには相手の努力を暗に否定している。そんな隠れた意味合いが「あの人は凄い」というよく言う一言に含まれているのかもしれない。ぼくはそんなことを感じた。

簡単な意味のようで、複雑さを孕んだな単純な言葉こそ、しっかりと自分の中で咀嚼して吐き出していく必要があるのだろう。言葉をしっかりと意識して使うことの重要さに、ぼくは改めて気付かされた。