自分の言葉

(学生団体S.A.L.のブログから転載)

『ミツバチの羽音と地球の回転』をみた。山口県のちいさな離島「祝島」で、上関原子力発電所の新設に反対する人々を写したドキュメンタリー映画だ。劇中「わしらの生活がかかってるんじゃ」「わしらの23年間を、返せ」と全力で叫んでいるおじいちゃんおばあちゃんの姿を見て、「ぼくには原発のどうこうを語る権利なんてないんだな」と自分を責めた。なぜならぼくは、遠く離れた原子力発電所で生み出された電気をずっと存分に使いながら、3月12日の水素爆発でちょっとばかり身震いをしたに過ぎないからだ。おじいちゃんおばあちゃんのように、「自分自身の言葉」でモノを言うことなんてできないからだ。ぼくは自分に脅威が及ばなければいいと心のどこかで思っているだろうし、3月12日までは日本のどこにいくつ原子力発電所があるかなんて気にしたことすらなかった。これは都市生活者の原罪なのか。

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同じ日に、東京都写真美術館でやっていた『ジョセフ・クーデルカ プラハ1968』をみた。プラハの春の終盤、ワルシャワ条約機構群がプラハを占領した最初の7日間の様子を撮影したジョセフ・クーデルカの写真を集めた素晴らしい展示だ。モノクロで繊細な美しい写真からひとびとの悲しみや心持ちがはっきりと伝わってくる。ある写真の中のプラハ市民は拳を高く手にあげながら、ソ連軍の戦車に向かって叫び声をあげていた。写真だから何も聞こえないはずなのに、何かが聞こえてくる。ああ、この声も祝島のおじいちゃんおばあちゃんと同じような「自分の言葉」なんだな、と思った。本気で叫んだ、本音の言葉だと。

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そんな『ミツバチの羽音と地球の回転』と『ジョセフ・クーデルカ プラハ1968』は両方とも、ひとびとの無力さとぼく自身の傍観者たる立場を痛感させられるものだった。どんなにひとびとが立ち上がって自分の言葉で叫んでも、上関原子力発電所は建設が進み、プラハの春は終わった。そしてぼくはいつもそんな状況の傍観者でしかなかった。自分の言葉を持たないゆえに、だ。でもぼくは、いつかそんな傍観者たる自分を捨て、自分の言葉で問題を語ることでひとびとの支えになりたいと強く感じている。ひとびとの言葉が決して無力でないことを、ひとびとの言葉が世界を変えていくことを、自分の言葉で証明したい。

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だからぼくは現場に行く。見て・聞いて・感じることで、単なるハッタリでも机上の空論でもない自分の「言葉」を導きだすことができると考えているからだ。現場に行って問題を自分の経験に昇華し、それを言葉にする。そして、自分の言葉を腹の底から「叫ぶ」。自分で動かない限り、自分の言葉を持つことなんてできないのだ。「書を捨てよ町へ出よう」という言葉にあるとおり、他人の言葉を読み耽るだけではなく、自分で自分の言葉を創りだそう。そのために、動き出そう。そうやってぼくは、少し重い腰の自分にいつも言い聞かせる。

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この夏、ぼくは祝島に行く。原子力発電所問題を、少しでも自分の言葉にするために。「権利がない」で終わらせないために。いつかその言葉で、苦しむひとびとを助けるために。

文責:はたちこうた

●参考
ミツバチの羽音と地球の回転 http://888earth.net/index.html
ジョセフ・クーデルカ プラハ1968 http://www.syabi.com/contents/exhibition/index-1353.html

ジョセフ・クーデルカ展を見て

東京都写真美術館開催中の『ジョセフ・クーデルカ プラハ1968』をみにいった。ワルシャワ条約機構軍がプラハを占領した「チェコ事件」最初の7日間の様子を撮影した気鋭の写真家、ジョセフ・クーデルカの写真を集めた展示だ。

そもそもクーデルカは、当時は名の知られていない写真家であった。自分と自分の家族の命を守るために、写真は極秘裏に西側に運ばれ「P.P.(Prague Photographer、プラハの写真家)という名前で世界に写真を発表したからだ。匿名の写真家は1969年にロバート・キャパ・ゴールドメダルを受賞したものの、彼が名前を公表する1984年まで、彼の素性を知る者はほとんど世界に存在しなかった。

プラハの春という社会主義の緩和政策、変革運動が進むチェコスロバキア。そんなチェコスロバキアに「社会主義の正当性」を守るために攻め入るソ連軍。そしてそれに抵抗するプラハ市民。彼が撮った一連の写真たちは、そんな時代の一変をしっかりと捉えている。自分たちの街が、自分たちの国が占領されていくプラハ市民たちの感情をしっかりと、そのなかのひとりの「市民」として伝えているからだろう。モノクロで繊細な美しい写真から伝わる彼らの表情が心に刺さる。展示方法が少々見にくいものの、それを圧倒する写真の素晴らしさは、クーデルカの才能といっても過言ではないのかもしれない。

ある写真の中のプラハ市民は拳を高く手にあげながら、ソ連軍の戦車に向かって叫び声をあげていた。写真だから何も聞こえないはずなのに、何かが聞こえてくる。ああ、これが心の底から叫んだひとびとの「声」なんだな、と痛感した。しかしそんな声も虚しく、プラハの春は終わり、チェコスロバキアは占領された。モノクロで伝わる彼らの心情は、想像を超えた悲しみであったに違いない。

●参考

ジョセフ・クーデルカ プラハ1968

http://www.syabi.com/contents/exhibition/index-1353.html