サナおばさんの9.11

ぼくが9月11日をどう思うかを聞くと、サナおばさんはゆっくりと、そして流暢な英語で話しはじめた。

「同時多発テロが起きたときわたしは、よし、アメリカが攻撃された。よくやった、と思ってしまいました」。

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サナおばさんはイラク難民の女性だ。夫はもともと大学院の教授で、彼女自身もイギリスで暮らしていた経験がある。知識層であったがために、フセイン政権崩壊後には武装勢力に連れされさられた。いま、彼女は一家でイラクからヨルダンに逃げ、アンマンで難民として暮らしている。

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「しかしわたしは考え直したんです。9月11日のその日、無垢な人々がたくさんあのビルにはいて、みんな死んでしまった。もしもわたしの家族、息子や娘が彼らと同じようにあのビルの中にいたら。そう考えると、わたしはとても悲しくなるんです。日本人も含め、多くのアラブ人も犠牲になっている。すべてのひとびとは、みんな無垢なひとびとだったののです」。

サナおばさんは一息ついて、続けた。

「だからわたしはほんとうに、彼らに申し訳ないと感じています」。

同時多発テロのことを、いちどでも「よし」と思ってしまった自分を、彼女は責めていた。「無垢な人々は、政府とは関係がないのに」。アメリカの政府は嫌いだという彼女も、アメリカのひとびとを嫌いだとは思っていないのだ。

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アメリカ政府がイラクでしてきたことを、彼女は身をもって経験してきた。だから彼女はアメリカ政府が嫌いだ。彼女のとある友人は3年前、自宅にいるところを爆撃された。粉々にされた彼女の家々から見つかったのは、たったひとつのキーホルダーだけだった。「そんなことがイラクでは何百も、それ以上も起きているんですよ」。そう語るサナおばさんの表情は、とても硬かった。

「アメリカ政府は泥棒とおなじです。豊かな国だったイラクから(二度の)戦争で、石油を奪っていったから」。

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きょう、9月11日。同時多発テロ10年目の日に、ぼくはイラク難民の家で、彼女自身の口から、彼女の「9.11」を聞いた。

「サナおばさんの9.11」は、ぼくにとっての9.11をおおきく変えた。単なるテレビの中の出来事でも、歴史上の出来事でもない「9.11」が、そこにはあった。それは彼女たちにイラク難民にとって、そしてその他のイラク人、アフガン人にとって、紛れもなく「自分の人生を変えた出来事」だったのだ。

彼女の大好きだったイラクは破壊されつくされ、彼女は自分の国を捨てざるを得なくなった。彼女が伝統的なアラブ菓子を振る舞いながら見せてくれる笑顔の裏側には、ぼくには到底理解し得ない悲しみと、悩みがあったに違いない。

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宿で出会った香港人にこの話をしたら、彼はぼくに尋ねた。「君はそういう経験をしたうえで、日本に帰ったらイラクの人たちにどうしたいの?なにができるの?」

ぼくはこの10年間、なにをして来たんだろう。そしてこのあとの10年間、ぼくにはいったいなにができるんだろう。

美しさの果ては

ドバイの夜はほんとうに煌びやかだ。高さ800mのブルジュ・ハリファを中心に延々と続くビル群。真っ直ぐに整備された片側6車線の道路、その上を颯爽と駆け抜けるドバイ・メトロ。なにもかもが緻密に計算され、デザインされたうえに成り立っている。

躍動する都市、沸騰都市、中東の中心地、世界経済の中心地。ドバイを表す美辞麗句を並べれば、それはそれはキリがない。事実、その言葉たちに相応しい様相をドバイは見せているし、ぼくらもその姿に魅了されていたことは間違いない。夜のドバイ・メトロに乗って街を見下ろせば、そこはまさに「未来都市」そのものだ。

しかしなんだか、ぼくはその「計算され尽くした未来都市」に違和感を覚えた。そこには「人間らしさ」がなかったからだ。生活感、といったほうがよいのだろうか。市場やそこに集まるひとびと、飛び交う怒鳴り声やクラクション。そんな暑苦しい、生々しい生活感。ごちゃごちゃで無秩序で、でもなんだかそこに隠れる温かみ。それが、ドバイにはない。

ぼくがインドからドバイに入ったから、余りにも大き過ぎるギャップに気持ちが追いついていなかったのかもしれない。日本にだって、そんな生活感はないかもしれない。いや、それにしてもドバイはぼくにとってやっぱり「無機質」だった。

きっとドバイは、あまりにも合理的過ぎるんだと思う。合理的過ぎるがゆえに美しい。たしかにそれは便利だし、綺麗だし、未来的だ。しかしそこで「無駄」「邪魔」「汚い」と、排除されてしまうものたちがある。ぼくはそこにこそ、ほんとうの人間らしさが隠れているのではないだろうか。

合理性を追求し過ぎるがゆえに消えてしまう、人間の繊細さや雑さや、面白さ。その分手に入る、美しさや統一性や、便利さ。どちらを生かし、どちらを殺すかはわたしたち次第だけれども、ドバイを見ていると、ぼくはちょっぴり寂しくなる。

ふとドバイの裏路地に迷い込んだとき、野良猫と出会った。そういえばドバイでは、こういう動物たちも滅多に見ることがなかった。野良猫はぼくに気がつくと、寂しそうに「にゃあ」と鳴いた。その後ろでは、ブルジュ・ハリファが独り、堂々と空に向かってそびえ立っていた。