腕時計なんて、そもそもどんなものも似たり寄ったりだ。色や形に多少の違いはあれども、強烈に記憶に残るものなんてほとんどない。たまにあったとしても、それはフランク・ミューラーだとかダイヤモンドがちりばめられているだとか、そういう類であることが多い。よっぽどの腕時計マニアじゃなければ、ひとつひとつの腕時計を記憶することなんかできないだろう。僕は腕時計マニアではないし、高級腕時計を持っているわけでもない。要は腕時計に無頓着なのだが、実はそんな僕にも人生で唯一忘れることのできない腕時計がある。きっともともとは何の変哲もない、数多ある普通の腕時計のひとつに過ぎなかったに違いない。しかしその腕時計が放つ不思議なオーラは僕に恐怖を与えるし、なんだか持ち主の人生が丸ごと包含されている様な重みがある。

その腕時計は今この瞬間も、ガラスケースの中にそっと置かれていて、「8時15分」を指したまま止まっている。熱線でボロボロになったベルト、爆風で曲がった時針、焦げた文字盤。腕時計は、その日の8時14分までは普通に時を刻んできた。しかし「ある瞬間」を越えてから、「その瞬間」を記憶したまま二度と動かなくなってしまったのである。持ち主は出勤途中だったのだろうか、通学途中だったのだろうか、それは誰にもわからない。しかし、「持ち主」というひとりの人間の影みたいなものが、その腕時計には少しだけ残っているようにも感じる。誰かがついさっきまでそれを身につけていて、ふと文字盤に目をやったりしているのではないか、と思わせる生温かさがある。その生温かさはなんだか不気味でもある気がするし、安心感がある気もする。

腕時計は、僕たちに想像力を与える。その瞬間に何が起こったのか、一瞬にして全てが失われ、破壊されると言う恐ろしさに気付くことが出来る想像力だ。人ひとりの人生が一瞬で終わってしまうこと、そして人ひとりがほんとうに小さい存在で、簡単に消え去ってしまうことに気付くことが出来る、想像力だ。そしてその想像力は僕らの感情に訴えかけ、怒りや悲しみを覚えるようになる。ひとつの腕時計なのに、そこまで人を動かしてしまう力を持っているのである。

腕時計なんて、そもそもどんなものも似たり寄ったりだ。でも「8時15分」と「11時2分」を指したまま止まってしまったいくつかの腕時計たちは、色や形に多少の違いはあれども、世界を変える大きな力を持っている。僕らはそれを見て、多くのことを知るし、気付くことができる。永遠に時を刻まなくなった腕時計は、永遠にその瞬間を記憶し続け、永遠に「その出来事」を物語るのである。

(2010/09)


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