ぼくはその日、ヒンドゥ教の聖地であるバラナシ駅1番線のホームで寝台列車を待っていた。インド-ネパール国境の近くにある町、ゴダプールに向かう列車である。時刻は午前0時過ぎ。列車は定刻から1時間以上遅れていたけれども、到着する気配はまるでない。待つこと以外にすることもないので、ぼくはベンチに座りながらぼーっと辺りの様子を眺めていた。チャイをすすっている人、新聞を読んでいる人、おしゃべりをしている人、寝ている人…。さまざまな人々が、それぞれ思い思いの時間を過ごしていた。

 

そんな人々の雑踏の中から、一歩一歩、ゆっくりとこちらに近づいてくるか弱い影が目に入ってきた。その細い、小さな影はどんどんこちらに近づいてきて、それがどうやら子どもの影であることが分かるくらいになった。ついに足が見えたその瞬間、ぼくはふとあることに勘付きその陰からとっさに視線をそらした。「物乞いが来た」、と感じたのである。

 

インドを旅するとだいたいどこの町でも物乞いに会う。子どもの物乞い、老人の物乞い、障害を抱えている方の物乞い、赤ん坊を抱きしめた女性の物乞い・・・。外国人である僕らはお金持ちと考えられているのか、常に彼らから手を差し出される。それは小さな手だったり、皺が切り刻まれた手だったり、指が無くなってしまった手だったりする。「物乞いにお金を渡すとキリがなくなるから無視をした方がいい」と言う人もいるが、それは人それぞれだろう。ぼくは出来る限りお金を渡そうと最初から決めていたし、出来る限りそうしてきた。

 

ぼくの方に近づいてきた物乞いは、やはり子どもだった。たぶん男の子だろう。子どもと言っても14歳くらいの彼は、文字通り骨と皮しかないほどやせ細っていて、げっそりとした顔つきをしていた。彼はしきりにぼくの方に手を伸ばしてきたが、そのときばかりはどうしてもお金を渡す気になれなかった。長い旅路で疲れが溜まっていたし、なかなかやってこない電車に対して苛々していたからだ。だからぼくは目を合わせず、彼を無視し続けた。

 

それでも彼はいなくなろうとはしなかった。そのまま無視をし続けようとしたが、何分かしてぼくは本当にどうしようもない気持ちになって、朝食用にと買ったクッキーを3枚、そっと彼の掌に載せた。彼は何も言わずにそれを握りしめ、そのうち1枚を口に入れた。そのときだった。彼はクッキーを味わうように噛み締めながら、ぼくの顔をじっと見つめ、ゆっくりとほほ笑んだのだ。ありがとうと言う意味なのか、おいしいと言う意味なのか、何なのかわからない。けれども、そのほほえみは確かに本物だった。少なくとも、ぼくにはそう感じたのだ。どう反応していいかわからなかったぼくは、そのほほえみに対して、小さく頷き返した。すると彼はぼくを見つめながら同じように頷き、残りのクッキーをそっとポケットにしまうと、ぼくの前からいなくなった。

 

列車が2時間遅れでやってきてベッドに寝転んだあと、ぼくはしばらく眠りに着くことが出来なかった。彼のほほえみと頷きが、なんだか心につかえたまま消えなかったからだ。あのほほえみの意味はなんだったんだろうか、あの頷きの意味はなんだったんだろうか。ぼくがしたことは本当に正しかったのだろうか、なにか他にしてあげられることはなかったのだろうか。天井に備え付けられたファンの回転音だけが妙に頭の中にこだまし、考えはどうしてもまとまりきらず、ついに答えを見つけることはできなかった。電車が次の駅に着くころには、僕は眠りに着いていた。

 

(2010/10)

 


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