ハイチで地震があった。すでに11万人の死亡が確認されているというが、その規模は正直実感が沸く人数ではないし、そのためか悲しみとかそういう類の気持ちも感じない。ほとんどの人がそうなんじゃないかと思う。でも地震のニュースを聞いたり現地の写真や映像を見たりすることで、少なからず後ろめたさを感じた人もいたのではないだろうか。なんで自分はこんな状況にいてなんもしていないのか、だとか、自分は安全な場所にいてよかったなあ、とか。ちなみに、おいしいコロッケを食べながらハイチからの映像を見ていた僕は、その「後ろめたさ」を感じた。

そういう後ろめたさは、「自分にも何かできることがないか」という気持ちを引き起こすことが多い。でも、自分が今すぐ飛行機に飛び乗ってハイチに行くことはできないから、ほぼ全員は国内で「なにかできること」をする。そしてほとんどの人は、家や生活圏内から、「なにかしよう」とする。そう、募金だ。募金はある種、「良い状況に置かれている自分が何もできない」という罪悪感に対する免罪符とも言えるのかもしれない。もしくは、自分が何かしらの形でハイチに関われたことに対する「自己満足」を引き出そうとしているだけなのかもしれない。

そういう意味で募金を批判する人は少なくない。しかし、僕は逆に聞きたい。免罪符や自己満足になろうとも、それの“何がいけないんだ”と。その募金があるべきところにされ、使われるべきところに使われて、ハイチで苦しんでいる人々が少しでも助かるのならば、その間の道筋がどういうものでも良いのではないか。募金以外にできることがあるにもかかわらず、募金だけで自己満足で悦に浸っている人がいるのならば、それは確かに批判に値するかもしれない、が。

だから僕は、変に募金を批判したり毛嫌いしたり、自己満足だから気が引ける…なんか思ってないで、とりあえず募金しとけよ、と思う。100円でも1000円でも、チリが積もれば山となるのが募金の原理なんだし、みんながそういう意思で動いて巨額が集まるんだから。できることから、特に深く考えずに、やれば、それは結果に繋がっていると僕は信じている。

 

(2010/01)

 


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