ドバイの夜はほんとうに煌びやかだ。高さ800mのブルジュ・ハリファを中心に延々と続くビル群。真っ直ぐに整備された片側6車線の道路、その上を颯爽と駆け抜けるドバイ・メトロ。なにもかもが緻密に計算され、デザインされたうえに成り立っている。

躍動する都市、沸騰都市、中東の中心地、世界経済の中心地。ドバイを表す美辞麗句を並べれば、それはそれはキリがない。事実、その言葉たちに相応しい様相をドバイは見せているし、ぼくらもその姿に魅了されていたことは間違いない。夜のドバイ・メトロに乗って街を見下ろせば、そこはまさに「未来都市」そのものだ。

しかしなんだか、ぼくはその「計算され尽くした未来都市」に違和感を覚えた。そこには「人間らしさ」がなかったからだ。生活感、といったほうがよいのだろうか。市場やそこに集まるひとびと、飛び交う怒鳴り声やクラクション。そんな暑苦しい、生々しい生活感。ごちゃごちゃで無秩序で、でもなんだかそこに隠れる温かみ。それが、ドバイにはない。

ぼくがインドからドバイに入ったから、余りにも大き過ぎるギャップに気持ちが追いついていなかったのかもしれない。日本にだって、そんな生活感はないかもしれない。いや、それにしてもドバイはぼくにとってやっぱり「無機質」だった。

きっとドバイは、あまりにも合理的過ぎるんだと思う。合理的過ぎるがゆえに美しい。たしかにそれは便利だし、綺麗だし、未来的だ。しかしそこで「無駄」「邪魔」「汚い」と、排除されてしまうものたちがある。ぼくはそこにこそ、ほんとうの人間らしさが隠れているのではないだろうか。

合理性を追求し過ぎるがゆえに消えてしまう、人間の繊細さや雑さや、面白さ。その分手に入る、美しさや統一性や、便利さ。どちらを生かし、どちらを殺すかはわたしたち次第だけれども、ドバイを見ていると、ぼくはちょっぴり寂しくなる。

ふとドバイの裏路地に迷い込んだとき、野良猫と出会った。そういえばドバイでは、こういう動物たちも滅多に見ることがなかった。野良猫はぼくに気がつくと、寂しそうに「にゃあ」と鳴いた。その後ろでは、ブルジュ・ハリファが独り、堂々と空に向かってそびえ立っていた。


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