水俣にいます。

来週末に、水銀の管理や削減に関する「水俣条約」を採択する外交会議が、県内で開かれる関係です。ちなみに日本で採択される条約は、今回の「水俣条約」が戦後2度目、らしいです。

水俣病に関しては、4月に熊本に赴任してから、まるで突貫工事のように勉強しただけ。訪れたのも、高校野球の取材だけ、資料館すら訪れたことがない、という恥ずかしい状況です。それでも、よくよく思い出してみれば、僕が記者、ないしは物書きというか、「つたえる仕事」を志すようになったきっかけは、家にあったユージン・スミスの写真集「水俣」だったんです。

小学校低学年だった僕にとって、ぐうぜん手に取ったその写真集「水俣」は、ものすごく衝撃的で、とてつもなく怖くて、開きたいけど開けない、そんな存在でした。かの有名な「Tomoko and Mother in the bath」などの写真たちは、僕の網膜に焼き付いて離れなかったし、写真からにじみ出る、「不安」とか「悲しみ」とか「怒り」に、正直、おののいていたんだと思います。

それでも気がつけば、いつしかこの写真集は、僕に「つたえる力」を気がつかせてくれた、大切な存在になっていました。以来、水俣病をしっかりと学ぼうとしなかったことが、ほんとうに悔やまれます。地方と都市、中央と周縁、強制と順応、ミナマタとチッソ、フクシマと東電、など。日本をむしばむ大きな問題たちの根源が、水俣病に隠されていたこととは、つゆ知らず。

さて、2013年。写真集を手に取ってから、15年。小学生くらいからなりたい、なりたいと言っていた記者になり、2年。はやくも原点である「ミナマタ」を訪れることができ、外交会議の場に参加し、その空気感に触れることができるというのは(たとえそれらがほんの少しだけでも)、回り回ったなにかの縁なのかもしれません。

だから正直、うれしいです。こうなったら、東京まで記事が届くよう、がんばります。この言いようもまた、地方と都市、中央と周縁の思想をうかがわせてしまう、欠片なのかもしれませんが。

「水俣条約」にはまだまだ多くの不備も指摘されていて、「水俣病が(強制的に)終わってしまうのでは」という懸念も残っています。そんな側面も、しっかりと勉強しながら、しっかりと書いていければいいなと、思っています。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>