新聞は日々のニュースを売っているわけじゃない。その中から生み出される「言論」(ないしはその空間)を提供しているんだと思う。オピニオン、インタビュー、論文、コラム、声欄などなど。「ニュースを見るならネットでいい」。これには同意する。
単純なストレートニュースは、どのソースにしてもほとんど内容は変わらない。重要なのは、そういうストレートニュースを広げたり、複数の人が議論をしたり、識者が考え語ったりするもの。そしてそれが、多くの人たちに一斉に配信されるもの。こういう類いの「言論」って、あんまりネット上にはない。「言論」には、信頼性と共有性が必要だ。それらがしっかりと担保された「言論」が、記録性と一覧性にすぐれた紙に印刷されることに、意味はある。視角的に読みやすいようデザインされ、かつ保存性に優れている新聞のウリだ。自らがアクセスしたい「言論」以外の見地を広げるには、新聞っていうのは最も有効なツールなはずだ

新聞を読まないは、ニュースを見ないと=(イコール)にはならない。自分は興味がない、知らない、自分からは見えない「言論」を、もっともっと深いところにしまい込んでしまうことに、つながるんじゃないかと、僕はどことなく危機感を覚える。

(2014/1/3)

山あいの村のおばあちゃんがイラク戦争を語り、東大生が過疎を語る。海辺の町の若い漁師のにーちゃんが反原発を想い、市民活動家が干拓問題を解く。みんなが自分にも関係のない大きな事柄に関して、何かしらの意見を持つことが、言論だと思うんだよね。

(2014/4)

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