原爆症とか被爆者っていうのは、どことなくもう「歴史」なのかなと思っていました。69年も前の話だし、「はだしのゲン」で描かれているような人たちっていうのは、まったく自分と出会うことはないんだろうなあと。出会っても、テレビとか、教科書のなかだけだと。もちろん、原爆はだめだとか、核廃絶だとか、そういうことは思っていました。それとこれとは、ちょっとばかり違う感覚です。
このあいだ、熊本で原爆症の認定をいちど却下された人たちが、やっぱり認めてほしいと求める訴訟が、ありました。そこで僕ははじめて、被爆者の人と出会い、話しました。歴史じゃあなかった、現実なんだと、痛感させられました。自分の無知さを、想像力のなさを、恥じました。
被爆者と認定されていれば、医療費は無料です。それでも、入院したり、高度な医療を受ける場合は、お金がもっともっと必要になります。そうしてつくられたのが、「原爆症」の認定制度。ただしその基準はとても厳しく、いろんな病気になった人たちが、裁判を起こさざるを得なくなりました。動くのも大変な、おじいさんや、おばあさんたちですら。「もうつらか」。僕が取材した84歳の男性は裁判の前、そうつぶやきました。ひたすら続く裁判に、疲れを感じていたそうです。それでも裁判を続ける理由を聞けば、「死ぬ前に国にひとこと言いたい。自分は絶対に原爆症だと思ってるけん」。力づよく、教えてくれました。長崎で勤労奉仕中、16歳で被爆。爆心地から3・2キロにあった工場は崩れ落ち、ガラス片で背中は血だらけに。その傷痕は、右の脇腹に、ついこの間の傷のように、深く残っています。

健康に影響の出るぶんの放射線を、男性は浴びています。しかし、かかっている病気はなかなか申請が通らない類いのもの。男性が発した一言が、胸にどんよりと沈んでいきました。「ガンでないけん認定されんのか。ガンだったらよかったのか」

残念ながら、その男性は裁判に負けました。

地裁で負けたのなら、控訴することができます。それでも、1度の裁判にかかる時間は3年ほど。男性は悩んでいました。「もう長生きはできん。これだけ頑張ってダメなら、もうダメかもしれん」と、老人ホームのベッドのうえで呆然としていた男性。最後の力を振り絞って、控訴することを決めたといいます。

そしてきょう。会見で、男性は号泣していました。84歳のおじいちゃんが、肩を震えさせてて嗚咽する。「どうして認めてもらえんのか。歯がゆか……」

法律とか、国とか、そういうものって、なんでこんなに不条理なのだろう。そんなことを、パソコンに原稿を打ち込みながら、部屋にひびく泣き声を聞きながら、考えていました。一言でも「がんばってください」と声をかけられればよかったのに。僕はかたかたとしか、していなかった。どこかで、「何もできない、俺には」と、逃げていたのかもしれません。かたかた。

だからこそ。裁判に負けたあとの取材で、男性に聞かれたことに応えられるよう、努力していきたいと、誓いました。

「勝つまで、取材して、応援してくれるんですか?」

まだまだ未熟な24歳。あと1日で25歳。頑張りたい。

(2014/4/11)


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