僕は大学である開発系の授業を受けている。この間、その授業でディスカッションが行われた。その中でも僕が特に興味をひかれたテーマは、「多国籍企業が低開発国(発展途上国)の貧困を助長しているのか否か」というものだ。その議論の中で、僕と同い年のある青年がアツく持論を語っていた。あまり知識がない僕は発言をせず聞くことに徹していたのだが、そんな彼の意見の趣旨をまとめるとこういうことになる。

「多国籍企業が貧困を発生させ助長させることには間違えないから確実に国家や行政が統制をすべきである」

さて、熱弁を振るう彼の手元を僕がふと見てみると、机の上には「500mlペットボトルに入ったコカ・コーラ」が置いてあった。

何が言いたいのかと言えば、ただ単に、議論し研究をし、それで満足してしまう人が多すぎるのではないか、ということである。これはコーラを飲みながら、多国籍企業を第否定する議論を交わす、とある青年だけにしか言えることではない。これを読んでいるあなただって、僕だって、全員同じことだ。自分に聞いてみてもらいたい。飢餓のこと、水のこと、貧困のことを語るとき、同じようなことをしたことが「ない人はいない」のではないだろうか?

イスラム教のラマダン(断食)は、ただ食事を我慢して忍耐力を試すものではない。ラマダンの本来の目的は、世界で飢えている人と飢えを共有し、その気持ちと食べ物の重要さを理解することにあるのだ。まさに「論より証拠」である。ひたすら考え、語っているだけでは物事は解決しない。自ら率先して何らかの行動-その大小にかかわらず―を起こすことこそが重要である、とイスラム教は僕らに説いているのである。

僕は皆さんに「飢餓の話し合いをするときは、1日以上何も食べるな」と言っているわけではない。多国籍企業を否定するならコーラを飲むなとも言っていない。それは個人の自由だし、僕らはそれらに依存し過ぎているだろう。でも、そういう考え方があって、自分たちはそれをすることができていない、ということを、ぜひとも認識してもらいたいのである。

(2009/05/14)


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