焼身自殺と感情の麻痺について

「君死にたもうなかれ、人を殺せと教えしや」。新宿の焼身自殺。一部報道によれば、男性は与謝野晶子の詩の一説を引用してから自らに火を放ったというけれども、いったい何が彼をそこまでにさせたのか。集団的自衛権についての批判をするがために焼身自殺を試みたっていう事実、チベット問題に関連する焼身にも通ずるものがあるのでは。真剣に考えないといけない、危機だ。

「日本はそんなことをしなくても意見を言える。だから、チベットとはちがう」という論調も展開されているけれども、決してそうではないと思う。一個人がおおきな声を出してもまったく届かないシステムが、この国で当たり前になりつつあることに、気がつかないといけない。そして、どうにかして声を上げないといけない「もどかしい」実情が、集団的自衛件の問題には付随していることにも、気がつかないといけない。

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山奥の小北京

もう空気が薄いのにも慣れた。初日はどうなるかと思っていたが、4日もいるとさすがに体も順応する様だ。ちょうど夜だったので、僕らは飯屋を探していた。「北京中路」という街のメインストリートの周りには様々な飯屋がある。大体中華料理屋だが、どれもおいしいと聞いていたのでどこでもよかった。とりあえず、一番安そうなところに入る。中国語のメニューを読んで、片言の中国語で注文をする。そしてチャイをすすりながら少し待っていると、美味しそうなチャーハンが出てくる。箸を使ってそれを掻き込むように食べながら、ふと考える。「ここはどこなんだろう」と。

僕はその時、チベットの首都ラサに滞在していた。いくつもの山を越えて辿り着くその街の高度は3700mほどで、富士山の頂上とだいたい同じくらいである。50年前までは文字通り山奥の秘境だった。車もたった1台しかなかったようなラサは、いまでは中国で1人当たりの自動車保有台数が一番多い街へと変貌した。ここ数年の発展は輝かしいものがあり、2000年以降は年率12%くらいの勢いで経済成長を続けている。漢民族の流入も著しい。「青蔵鉄道」と呼ばれる標高5000mの高地を突っ走る長距離路線が2005年に開通して以来、物資も人も金も情報も、すべてのフローが中国からやってくるようになった。

もはやラサは山奥の「小北京」と化している。近代化の波が押し寄せ、人々の生活や文化は確実に「チャイナ・ナイズド」されてしまっている。町の中でチベット語を見る機会も聞く機会もほとんどない。大体の看板が漢字で書かれているし、店員の会話もすべてが中国語だ。ジョカン寺というチベット仏教の総本山のまわりには、なぜかヒップ・ホップファッション専門店が目立つ。爆音でアメリカ人のラップが流れる横を、老いた巡礼者がマニ車を回しながら静かに通り過ぎて行く。若者たちは夜になると革のジャケットをはおり、ジーンズにコンバースのスニーカーを履き、クラブに繰り出しては飲み、踊る。CCTVを見ながらまったりとチャイを飲みおしゃべりをしているチベットの老人たちもいる。チベット僧侶の足元を見れば、ほとんどがNIKEとadidasのスニーカーだ。

チベットを支援する人たちや、チベット難民の多くはこのような状況を見て「侵略だ」と叫ぶ。もちろん中国側は「解放」だと言って相手にしない。チベットに住んでいる人たちも、不満を抱えている人々は多いと言うが、一方でそのような人たちが中国の恩恵を受けているのも間違いではない。チベットは、もはや中国抜きでは自身を存続できない様な状況に置かれているのだ。中国は自分に徹底的に依存させることで、この状況から抜け出すことができないようにしている。中国語で「西蔵」と書くチベットには、とてつもない量の天然資源を秘めているからだ。「西部の蔵」であるチベットを、中国が簡単に手放すわけがない。

ラサ近郊のとある村に訪れたとき、僕はチベット人の小学生にカメラを渡してこう言った。「チベットっぽいものを撮ってきてよ」。少しして子どもが帰ってきて、撮った写真を見せてくれた。ダライ・ラマの写真とか牛とか、チベット仏教に関連する何かなのかな、なんて思っていた。でもそこに写っていたのは、壁に描かれた大きな中国旗だった。僕はなんだかとても複雑な気持ちになった。

(2010/09)