ラダックの高地で考える、民族の多様性。

ぼくは日本人だ。それ以上でも、以下でもない。日本人であるというアイデンティティを持っている。「何ジン?」と聞かれれば間違いなく「日本人」と答える。しかしそこで「何民族なの?」と聞かれると、答えに戸惑う。チベットを訪れた際、チベット民族のおばあちゃんにそう聞かれたことがあるが、ぼくは言葉に詰まった。日本に生まれ22年間生きてくる上で、「民族」を意識する必要に迫られたことがなかったからだ。

よくよく考えてみれば、日本はアイヌや琉球などの少数「民族」と人口の大多数を占める「シャモ(アイヌ語で和人)」にわかれている。しかし、もはや現在の日本においてそれらの境界線はほとんど存在していない。日本人は「日本人」というひとつの存在にまとめあげられているのだ。

これは、明治から昭和における日本国政府の政策の「おかげ」であると言えるだろう。日本国政府による帝国主義的な政策によって、少数民族はシャモに「同化」させられた。伝統的な文化は破壊され、言葉も「国語」に統一されてしまったのだ。その「おかげ」で日本人は「日本人」になり、ぼくはわざわざ自分が何民族であるのかを問う必要もなくなった、というわけだ。

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なんでインドのラダック地方に来て、ぼくはそんなことを考えているのか。それはぼくが、インドにある民族の多様性、そしてそれぞれのアイデンティティや文化が保たれている事実に驚き、感動したからである。

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たとえばカシミールでぼくは、「I am Kashimir, but also we are happy with India.」というおじさんと出会った。彼は満面の笑みをたたえながら、カシミールがインドであることに対する素晴らしさをぼくに説いてくれた。そしてたとえばラダックでは、「I am Ladakhy, and also India.」という少年と出会った。「but I am not Tibetan.」と彼はつづけた。

そう、これがぼくの感じた多様性である。彼らはインド人であると同時に、それぞれの民族アイデンティティを持ち合わせている。インドに対するナショナル・アイデンティティよりも、自分の民族に対するエスニック・アイデンティティを上に捉えているのだ。彼らはそれぞれがウルドゥ語やらラダック語などの独自の言語を話し、イスラームとチベット仏教という独自の文化を保ち続けている。

ぼくがカシミールで泊まった「ハウスボート」のオーナーは、インド人の客とは「英語で話す」という。国籍の上ではインド人であるはずのオーナーが「インド人の客」と言うことからもまた、彼が「カシミール」というエスニック・アイデンティティをしっかりと持ち合わせている事実に気がつかされる。

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だが近年、そんな状況にも少しずつ変化が訪れている。学校において、ウルドゥ語やヒンディ語の教育に重点が置かれているというのだ。一つの公用語として、それらの言語が使われるようになっている。カシミールでも同様に、ウルドゥ語よりも英語やヒンディ語などでコミュニケーションをとる人が増えているようだ。

この変化は、インド政府が「インド人」というひとつの存在を作り上げようとしているがゆえに、訪れているのではないだろうか。インド政府は、少数民族を、大多数を占めるヒンディに同化しようとしていないだろうか。

具体的な証拠はないが、ぼくにはそう思えてならない。インド人が「インド人」であれば、国内においてヒト・モノ・カネを集めやすいし、小競り合いもなくなる。領土だって、確定する。コミュニケーションがヒンディ語や英語で統一されれば、国内のすべてが円滑化する。すべてが、インド政府にとって有利に働くのだ。いわば「国内のフラット化」である。

もちろん国内のフラット化は、インド政府だけではなく、それぞれの民族にとって有利に働く面もあるだろう。特に経済的な面で、それは強く現れるはずだ。しかし、伝統的な文化や言葉が破壊されていくことが取り返しのつかない大きな損失であるのは、アイヌや琉球の方々の尊い犠牲が証明している通りである。

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ひとりの「シャモ」としてぼくは、インド人が「インド人」にまとまって欲しくないと思う。それぞれの民族が長年築き上げてきた伝統、文化、言葉。これらは一度失われたら二度とは戻らない、とても価値のある存在だ。シャモが繰り返した罪を、こんな素晴らしい多様性に溢れたインドで繰り返して欲しくない。ぼくは自責の念を感じながら、そんなことを心から願うのだ。