中央と周縁について

昨日、フクシマ論をいまさらながらに読了した。

植民地と原発を重ね合わせる見方、地方と中央の構造変化と、完成した自発的な従属、「原子力ムラ」のリアルに満遍なく触れていて、読みやすく、おもしろい。やっぱりミソは、これが311前の研究とまいうところ。けっきょくムラは吹っ飛んだんだと思うと、虚しい。

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祝島と旅立ちと

祝島、広島、京都と関西を一週間程ぶら着いていました。明日の終電で横浜に戻り、明後日から1ヶ月半ほど海外に行ってきます。

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タイから入り、カンボジア、インド、ネパール、ドバイ、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ、トルコとユーラシアをプチ横断する予定。ネパールはビザの関係上まだ行けるか怪しいんですが、ほかは確定です。インドではチベット民族が住むラダック地方にも行くんですが、ひたすら楽しみです。

4回目のカンボジアではいつもお世話になっているNGO MAKE THE HEAVENとバサック・スラムに行って、こどもたちと遊びます。2回目のパレスチナではジェニン難民キャンプに行って、1年生のときに訪問した「Freedom Theater」に行こうと思ったのですが、イスラエル軍が最近襲撃をしたりと物騒で中止。残念だけど、しょうがない。1年のときに出会ったみんなはどうしてるのか、心配です。

ヨルダンでは高遠菜穂子さんのご協力で、イラク難民の子どもたちにカメラを渡してきます。Focus on myselfというやつです。ついにイラクの子どもたちにカメラを渡せるというのは感慨深い。ヨルダンではさらに人口の半分を占めるパレスチナ難民とも交流し、その子どもたちにもカメラを渡してきます。

さらにさらに、小学生の自分にとって衝撃だった9.11から10周年のことし、9月11日にイラク難民の若者たちと死海にいくことができるかもしれない、というのもサイコーです。言い方は悪いけど、ほんとうに楽しみです。

ああ、まじでいろいろといい経験ができそう。

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さて、ここからは祝島のはなしです。祝島についてはこの間のブログに書いたので、どんなところかわからない人は読んでみてください。

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祝島へ向かうバスの中から。原子力発電所のはなし。

夜行バスで広島に向かっています。夜行バスはなんだかロマンがあって好き。お互いに知らない人同士がおんなじバスに乗り込んで、おんなじところに向かう感じ。わくわくします。

ぼくがいま向かっているのは、祝島とい​う山口県のちいさな島。あんまり知られていないけど​、祝島の対岸2kmのところでは、中国電力が上関原発という原子力発電所を​建設しています。漁業と農業が主な産業である祝島では、20年以上前から上関原発反対運動をしていて。それ見に行こうというわけで、ぼくはいまバスに揺られているんです。

福島の一件の前から祝島の反原発運動は有名で、『ミツバチの羽音と​地球の回転』や『祝の島』のようなドキュメンタリー映画も見ました。反原発だそ​ら肯定だなんだという前に、とりあえず原発を作るところはどんな​ところなのか、そしてそこで何が起こっているのか、しっかりと見​てこようと思っています。明日,明後日はそこで過ごし、6日,7日は広島で平和記念式典や​鹿を見ます。「核」について多方面か考える4日間にしたいです。

さて。出発前、よく友達に「祝島っていう原発をつくってるとこにいく」というと​だいたいの人は祝島の存在を知りませんでした。ほとんどの人は「まだ作ってるんだ」とか「いまさら?」といっていました。そこでひとつ気にかかったことがあります。まだ、と​かいまさらっていうのは、3月11日以降の「こちら側の人たち」気持ちなんではないでしょうか、ということ。

ぼくを含めて多くの人は、3月11日まで原発なんてどうでもよか​ったはずなんです。だから何も考えなかったし、反対だなんだなんて言わなかっ​たはずなんです。ぼくらにとって原子力発電所は、いままでは単なるク​リーンな電気の供給源だった。だからぼくらはその恩恵に肖り、原​発がある場所のことなんて気に留めていませんでした。

でも3月11日、原子力発電所のリスクが自分に刃を向けた瞬間に、事実に気​づいて慌てたんです。それがぼくのいう、「こちら側の人たち」。

祝島のような原発建設地では、何十年もまえから​反対運動が行われていました。それができるのは、祝島のひとたちにとって、原子力発電所は生活​に関わるモノだから。生活を壊すモノだから。つまり、ぼくたちが無意識に許容していた原子力発電所は、そういう人たちの故郷、街を何かしらで壊していたということなんです。

それって植民地主義的で帝国主義的で、罪があるといっても過言ではない気すらします。たとえば福島のひとたちの土地を使って、のうのうと生きていたぼくたちにある、罪。

そんなことを考えていると、反原発だなんて、ぼくにいう権利はあ​るのだろうか、と思います。それこそまさに「いまさら」だから。正直なところ、原発ができようができまいが​、ぼくの生活は何も変わりがありません。残念だけどそれはほんとで。だからいま​まで気にすらしていなくて。

そういうことで、なんだか最近、ずっとモヤモヤしているんです。祝島で感じたことが、そのモヤモヤを解消してくれれば、そんな気持ちでぼくはいま、祝島に向かっています。

物見遊山で行ったところで何か解決するのか、原子力発電所問題がそれこそ「自分ゴト」になるのか。そう言われたら、否です。しかし行かないで何かを言うよりも、それはおおきく違うはず。自分たちがいままで無視し続けていた、そして興味すら持たずに生きてきた原子力発電所を知り、考え、そしてそれを生かすことのできるおおきなチャンス。それがこの祝島への旅にはあるんじゃないか、と確信を持っています。

バスは東名高速道路をまっすぐ進んでいます。がたんがたんと揺れる度に、ぼくは祝島へ近づいていきます。それはそれはおおきいモヤモヤを胸にずっしりと抱えながら、ちいさなちいさな島へと、近づいていきます。

自分の言葉

(学生団体S.A.L.のブログから転載)

『ミツバチの羽音と地球の回転』をみた。山口県のちいさな離島「祝島」で、上関原子力発電所の新設に反対する人々を写したドキュメンタリー映画だ。劇中「わしらの生活がかかってるんじゃ」「わしらの23年間を、返せ」と全力で叫んでいるおじいちゃんおばあちゃんの姿を見て、「ぼくには原発のどうこうを語る権利なんてないんだな」と自分を責めた。なぜならぼくは、遠く離れた原子力発電所で生み出された電気をずっと存分に使いながら、3月12日の水素爆発でちょっとばかり身震いをしたに過ぎないからだ。おじいちゃんおばあちゃんのように、「自分自身の言葉」でモノを言うことなんてできないからだ。ぼくは自分に脅威が及ばなければいいと心のどこかで思っているだろうし、3月12日までは日本のどこにいくつ原子力発電所があるかなんて気にしたことすらなかった。これは都市生活者の原罪なのか。

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同じ日に、東京都写真美術館でやっていた『ジョセフ・クーデルカ プラハ1968』をみた。プラハの春の終盤、ワルシャワ条約機構群がプラハを占領した最初の7日間の様子を撮影したジョセフ・クーデルカの写真を集めた素晴らしい展示だ。モノクロで繊細な美しい写真からひとびとの悲しみや心持ちがはっきりと伝わってくる。ある写真の中のプラハ市民は拳を高く手にあげながら、ソ連軍の戦車に向かって叫び声をあげていた。写真だから何も聞こえないはずなのに、何かが聞こえてくる。ああ、この声も祝島のおじいちゃんおばあちゃんと同じような「自分の言葉」なんだな、と思った。本気で叫んだ、本音の言葉だと。

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そんな『ミツバチの羽音と地球の回転』と『ジョセフ・クーデルカ プラハ1968』は両方とも、ひとびとの無力さとぼく自身の傍観者たる立場を痛感させられるものだった。どんなにひとびとが立ち上がって自分の言葉で叫んでも、上関原子力発電所は建設が進み、プラハの春は終わった。そしてぼくはいつもそんな状況の傍観者でしかなかった。自分の言葉を持たないゆえに、だ。でもぼくは、いつかそんな傍観者たる自分を捨て、自分の言葉で問題を語ることでひとびとの支えになりたいと強く感じている。ひとびとの言葉が決して無力でないことを、ひとびとの言葉が世界を変えていくことを、自分の言葉で証明したい。

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だからぼくは現場に行く。見て・聞いて・感じることで、単なるハッタリでも机上の空論でもない自分の「言葉」を導きだすことができると考えているからだ。現場に行って問題を自分の経験に昇華し、それを言葉にする。そして、自分の言葉を腹の底から「叫ぶ」。自分で動かない限り、自分の言葉を持つことなんてできないのだ。「書を捨てよ町へ出よう」という言葉にあるとおり、他人の言葉を読み耽るだけではなく、自分で自分の言葉を創りだそう。そのために、動き出そう。そうやってぼくは、少し重い腰の自分にいつも言い聞かせる。

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この夏、ぼくは祝島に行く。原子力発電所問題を、少しでも自分の言葉にするために。「権利がない」で終わらせないために。いつかその言葉で、苦しむひとびとを助けるために。

文責:はたちこうた

●参考
ミツバチの羽音と地球の回転 http://888earth.net/index.html
ジョセフ・クーデルカ プラハ1968 http://www.syabi.com/contents/exhibition/index-1353.html