投票日に、思ったこと-ポスト五輪のこの国を見据えて

”ポスト五輪”のこの国がどうなっているのかを見据える想像力が、この国には決定的に欠けていると、ぼくは思う。誇れる国だとか、輝ける国だとか、そんなのはただの懐古主義だ。成長神話を脱ぎ捨て、必ず訪れる、ないしはすでに訪れている低成長の時代をどう生きるか、考え、問わないといけない時期に来ているのに。

自分の子どもや孫たちが、ポスト五輪のこの国に訪れる、ないしは訪れている緩やかな後退時代に、いかに幸せに生きられるのか。そういう想像力を持って政治に参加することが必要なのではないか。世の中が、そして経済が、永遠に成長するなんて、あり得ないんだから。「成長」とはちがうオプションを、真剣に見出すべき時期に来ていると思う。そうすれば、世の中はもう少し良くなるんだとも、思う。

もちろん、だいじなテーマは「成長」だけではない。原発の再稼働だって、集団的自衛権の行使容認に関する”閣議決定”や、秘密法など安全保障分野の議論だって。来年、必ずやってくる憲法9条の改正議論だって、歴史認識をめぐる国際的な立ち位置だって。「ポスト五輪のこの国」を想像したときに、どんな国になって欲しいか選ぶことのできる様々なテーマが、この選挙ではずいぶんと隠されていながらも、問われている。

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焼身自殺と感情の麻痺について

「君死にたもうなかれ、人を殺せと教えしや」。新宿の焼身自殺。一部報道によれば、男性は与謝野晶子の詩の一説を引用してから自らに火を放ったというけれども、いったい何が彼をそこまでにさせたのか。集団的自衛権についての批判をするがために焼身自殺を試みたっていう事実、チベット問題に関連する焼身にも通ずるものがあるのでは。真剣に考えないといけない、危機だ。

「日本はそんなことをしなくても意見を言える。だから、チベットとはちがう」という論調も展開されているけれども、決してそうではないと思う。一個人がおおきな声を出してもまったく届かないシステムが、この国で当たり前になりつつあることに、気がつかないといけない。そして、どうにかして声を上げないといけない「もどかしい」実情が、集団的自衛件の問題には付随していることにも、気がつかないといけない。

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